| |
|
|
|
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
 |
CINEMA ENCOUNTER
SPACE(以下CES)はこれまで京都での上映企画をおもに活動の中心としてきましたが、3月末、20回目の企画である“吉田喜重/反=映画史”を終え、ぐるっとひとまわりしたように感じています。
と同時に。
これまでの活動のなかで実感したことと、現在の映画にまつわる状況、われわれ自身の映画との関わりあい方を考えたときに、上映企画だけを続けていくということに、疑問を感じたことも確かです。
CESのスタンスは、「放っておいたら観られない映画を、自分たちで上映することで観る」これに尽きました。
そうして観ることのできた映画は、われわれ自身にも、他には代えられないものとなって今でもまぶたに焼き付いています。そして、こうした上映活動を行うなかで、「観ることの適わぬ映画」は、観れば観るほど増えていくことにも気づいてきました。おそらく、このまま「あれもこれも」と数珠つなぎに上映を続けていくことは存分にできると思います。映画史というのは、人には見えないところに、人の想像が及ばないくらいに巨大な財産を隠し持っているのですから。いろいろな作品をどうしたら上映できるのかということも、経験を積ませてもらって、多くのことがわかってきました。
しかし、いま感じることはこういうことです。
自分たちがいまこれをスクリーンにかけるべきだ、と感じた映画を、どれだけの人に伝えることができたのだろうか。どうもわれわれはあまりに自分たちが観たいという欲望のままにやってきたのではないか。
上映活動を一度でもやったことのある方なら誰しも感じることと思いますが、しばしば「なんでこんなに面白いのに会場がこんなに寂しいのか」と思うことも少なくありませんでした。これは映画の責任ではなくて、上映を企画した者の責任だと思います。
こうしたことに無頓着であることが、映画を殺してしまう場合もありうるし、われわれ自身、どんどんタコツボのなかのタコになっていってしまうような気がしてなりません。
「映画と人とが思いもかけない遭遇をする場」というのがCESの名前の意です。
たくさんの映画を観たいという人の欲望がまずあったとして、CESはそれを引き受けてきたのだと思います。
反面、映画の側にも、人とどういう出会いをするのか、ということが考えられるんじゃないかと思ったわけです。つまり、人が映画と遭遇すると同じように、そのとき、映画も人と遭遇しているんだと。
ひとつの映画がどのように人に観られるのか、映画そのものの力を人にダイレクトに伝えられるにはどうしたらよいのか。こういうことを考え、活動していきたいと感じています。
というわけでCESの当面の活動。興味をもっていただければ幸いです。
もちろん、これまでのような上映企画も何らかのきっかけがあればやるでしょう。けど、それについては“乞うご期待!”
|
| CINEMA
ENCOUNTER SPACE 2006/05/20 |
|
|
 |
|
 |
|
|
|
|
|
|
|
|
|