今日は『台風クラブ』の話をしましょうということなんですけど、この映画が1985年の公開です。僕が1977年生まれで、山下さんは…
山下:76年だから…俺らが9歳とか10歳。
山下さんは公開当時に観てないですよね?
山下:観てない。(相米映画は)順番的には『お引越し』が最初かな?でも劇場では観てなくて、BSかなんかで。『お引越し』の次が『台風クラブ』だったような気もする。
−それもビデオかなにかで?
山下:深夜?いや、BSかもしんないしビデオだったかも。でも俺、「キネ旬」とか知らなかったから中・高校ぐらいの時「ビデオでーた」とかそのへんを読み漁ってたんだけど(笑)、『台風クラブ』ってだいたい出てくるんだよね。“名作”というか「これを観ておけ」という。

−「オススメ!」っていう感じで。

山下:「傑作!」っていう書かれ方をしてたから、そういうのが引っかかって。でも最初にいつ観たのかは覚えてないね。
−僕も『台風クラブ』は覚えてないんですよね。深夜TVで流れてるのを漫然と観てたら…みたいな感じだと思うんですけど。わりかし相米慎二の映画ってそういう出会い方が多いような気がしますね。
山下:そうだね。自分から進んで観にいったっていう印象は確かにあんまりない。
−山下さんは「ビデオでーた」だったっていう話ですけど、僕は高校ぐらいまでは「ロードショー」だったんですよ。
山下:あー「ロードショー」俺も読んでたよ。
−あまり日本映画を追いかけるみたいなことはなくて、どっちかと言ったら外人の写真を見てる方がスキでした。でも確かにTVの深夜放送などで結構観ていたというのが後でわかってきて。例えば、大学入りたての時に「ウワサの黒沢清の映画を観よう!」と『ドレミファ娘の血は騒ぐ』のビデオを借りてきたら「あれ?これなんか観たことあるぞ」とか。
山下:そうそう。順番も定かでもないし、正直観てないのもあるし。
−一番はっきりしてるのは『セーラー服と機関銃』。これだけは当時こういう映画をやってるんだなっていうのを覚えてますね。宣伝とかバーっとやってたので。
山下:あれは完全に薬師丸ひろ子の映画、角川映画ってことで覚えてるよね。相米慎二とかじゃなくて。あの頃『セーラー服と機関銃』のパロディーが大量に出回ったじゃん?山田邦子がやったりとかさ。マシンガン撃って「快感」っていうのをお笑いの人とかが真似してやってたから、あっちの方の印象のが強いよね。
−日曜洋画劇場の『バタリアン2』でもそれをパロったところがあった。教会の中でパンクっぽい格好のおねえちゃんが頭食われると「快感〜」って。
山下:あったあった。恋人に食われるかなんかだよね。
−食われてみたら快感だったっていう(笑)。
そういう世の中のムードがあったと。だから、僕ら10代の前半とかそこらへんの子どもははっきり意識してないんだけども、相米慎二の映画はちゃんと同時代的に存在していたということですね。
山下:俺らよりもちょっと上の公開当時の中学・高校ぐらいの人たちは、薬師丸裕子目当てで行ったり、『雪の断章 情熱』だったら斉藤由貴目当てで行ったりしてね。『台風クラブ』はたぶんそういうのはなかったと思う。
−工藤夕貴はまだアイドルでもなく、普通に子役って感じじゃなかったかしら?
相米映画の流れでいくと、一番最初が『翔んだカップル』で、『ションベン・ライダー』『セーラー服』でそのあとに『魚影の群れ』があって『台風クラブ』はその次の年ですね。それで面白いのが日活ロマンポルノの『ラブホテル』をその直後に撮ってる。
山下:あっ!『ラブホテル』は兄貴のベッドの下のエロビデオライブラリーの中にがあったの。その時にはすでに洋物のウラとか混じってたから(笑)俺すっげぇドキドキして、『ラブホテル』って書いてあったから「モザイクとかないのかな?」と思って観たら…。
−(爆笑)
山下:で、確かにカラミもあるんだけど全然エロくねぇなっていうか、「何だこのしみったれた映画は!抜けねえじゃねぇか!」っていう思い出はある。だから映像は見たことあるんだよ、あれ。だけどちゃんと観たことがない。
−お兄さんもまさかそういう映画だと思って借りてないでしょうね。どこかのラブホテルの部屋で隠し撮りした盗撮モノだと思ってたりして(笑)
山下:たぶんダビングしたか友達から借りたかで、要は「エロいよ」っていうので借りたと思うんだよね。


相米監督とは山下さんは面識ないですよね?
山下:うん、ない。
相米組から出てきたというわけではなく、もちろんディレクターズ・カンパニーも関係ない山下監督の『リンダ リンダ リンダ』と『台風クラブ』になにかしら通低するところがあって、そこがすごく気になるところだったので、山下監督と『台風クラブ』の話をしてみたら何かわかるんじゃないかと思ったんです。
山下:でも相米さんの映画って自主映画を作ってる人から見ると真似したくなっちゃう要素がいっぱいあるんだよね。古厩(古厩智之・映画監督。『この窓は君のもの』『まぶだち』『さよなら、みどりちゃん』など)さんも相米映画が大好きだみたいだし。
−古厩監督は『翔んだカップル』が好きだって聞いたことがあります。
山下:近藤くん(近藤龍人・映画キャメラマン。『どんてん生活』から『くりいむレモン』までの山下監督長編作品で撮影担当。山下監督とは大阪芸大の同期)も『ションベン・ライダー』大好きだし。やっぱ自主映画やってるとどっかでぶち当たるっていうか、手法として相米さんのやってたことってある意味やり過ぎなとこがあるんで、そういうとこに惹かれて真似しちゃうんだよね。それに俺らが学生の時は、相米さんってもう解禁だったよね?もう真似してもいいっていうか。確かに相米さん自身は生きてたんだけど、生きながらにしてもう巨匠、謎の監督だったから。伝説というか何かね。

−相米慎二という人自身があまり表に出てこなかったですもんね。

山下:相米慎二ってすごく謎の人物なとこがあった。確かに亡くなった時はショックだったけど。ショックって言うか「あっ、え!?」って感じだった。…なんだろうな、あの人のあのポジションって?
−映画をつくりはじめで真似したくなっちゃうっていうのもわかります。大胆なことをしてるんだけど、人力でなんとか出来ちゃいそうに見えて、キャメラの裏側でのスタッフの動きのイメージがわく。
山下:いざやってみるとめちゃくちゃ難しいんだけど(笑)。すごいことやってるんだなってあとで判るんだよね。
−「気合い」でできそうな感じがするというか、とにかくやってみたい気を起こさせる。
山下:そういう意味では、俺らの時は逆に黒沢さんが『CURE』でやったようなこととか、たけしさんの『その男、凶暴につき』が実は一番衝撃があって、リアルタイムで「こんな映画あるんだ」と思ったんだけど、逆に北野映画とか黒沢さんの映画は「これはできない、真似したらまんまだ」というものだった。たけしさんとか黒沢さんの手法だと「パクッちゃう」ニュアンスが出てきてしまってね。

それで、今回『リンダ リンダ リンダ』を作る時も雨降らしのシーンとか参考にするために『台風クラブ』を観直したんだよ。やってることは滅茶苦茶なんだけど、ある意味古典を観てるような感じだったよ、俺からしてみると。
−あぁ!『リンダ―』のクライマックスの雨ですか。現場で「これをやるぞ」って言った時に、スタッフみんなが目の色が変わってくるっていう(笑)雰囲気が目に浮かびますね!
山下:そうそう(笑)。ある意味映画オタク、映画好きが惹かれるものがあるんだよね、すごく。
−雨降らし以外で、他に『リンダ―』の制作の中で、山下さんの意識の中で『台風クラブ』が出てきたところってありますか?
山下:なんだろうなぁ……でも、その時観返して正直思ったのが『台風クラブ』って昔観た時、ずーっとカット割らないしある意味ダラダラしてるという印象があったんだけど、でも実は結構凝ってる映画だなと思ったよ。もっと何にもなかったような気がしたんだけど、意外にカメラ動いてるし、結構いろんなことをやってるんだなっていうのが見えたんだよね。
−確かに、長く回してるところとちゃんと切ってるところもありましたね。
山下:そう、飽きさせないようにして。「何もないですよ」っていうところはないような気がする。
−それは『リンダ―』もそうですね。
山下:『リンダ―』も何にもないように見える映画だけど、実は手法的には・・・そういう意味ではそうなんだね。俺もワンカットの中で何かしなきゃ気が済まない方なんだけど、俺は台詞でやっちゃうとこがあるんだよね。でも相米さんは台詞はあんまり多くなくて、その分カメラとか役者の動き、(工藤夕貴が)布団に入って着替えるだけでもそうなんだけど、ああいうところは綿密に考えてるし、ちゃんと映画として飽きさせないことは何かしらしてるっていうのがあるよね。

山下:今観てすごいなって思うのが、最初のシーンでプールに沈められてる男の子(明くん)に思いっきりガムテープ貼っつけてんじゃん、ちんこのとこに。あれが前バリの意味を成してるのか、イジメなのかがよく分からないんだ。昔は何も気にしてなかったところが、あれ?これって前バリをあとで隠すつもりがそのまま撮っちゃったのか、イジメの一環という表現なのか分かんないっていう。あそことか観ててすごく面白かった。

最初に観たくらいにすごく違和感があった覚えがあるのは、男の子が女の子に暴行してて、そのあと男の子が普通に戻っちゃうじゃん?あれがすごく不思議だったのね。
そうなんです。一般の社会とは違う世界という感じなんですよね。社会のルールとか常識の認識すら未分化で、あの少年少女も一定の人格を保つまでにいたっていないという。女の子の背中に硫酸かけて追っかけて服をビリビリに破いても、その後何にもなかったかのように一緒にいる。
山下:でも中学生じゃないよね?なんとなくだけどさ。中学生なんだけどさ、まぎれもなく。子どもでもないし高校生でもない。なんだろうなぁ。『台風クラブ』の生徒たちは変だったな。リアルでもないし、でも嘘っぽくもないし、なんだろうね。それはたぶん当時観てた観客もこれが今の中学生だとは思ってないと思うんだよね。
−思わないでしょうね。
山下:思わないよね。俺はそういうところを気にしちゃう方で、「今の女子高生ってどうなんだろう?」ってところから入っちゃうところがあって。『台風クラブ』のこの子らって中学生でもないような気がするんだよな。だから10年後に観た時は印象は違うかもしれないけど、また違う映画として成立してるんじゃないかな。10年後20年後の若い人が観ても。たぶん先の時代の人たちが観ても「あ、85年の中学生ってこうだったんだろうな」とは思わないと思う。そういうもんじゃないよね。

−この映画を同世代の中学生とかが見たらけっこう怖いんじゃないか?あんなに長い時間誰もいない校舎の中で男子が女子を追っかけるシーンをやるっていうのは。『シャイニング』ばりにやってますよね。しかもその前フリで追っかける健が塩酸を美智子(大西結花)の背中にかけるシーンがあって、酷いなぁと。

山下:あ、でもバービーボーイズの歌は古くなると思う (笑)。あれはすごい時代を感じさせた。
−あと、シナリオはディレクターズ・カンパニーが企画したシナリオコンクールの公募で落選したものみたいですね。確かに普通に東宝とかの商業映画だったらまずこういう企画では上がってこないだろうなっていう感じがしますけどね。
山下:当時は誰が観たの?中学生とか観てたのかな?
−いやぁ〜よく分からないですよね。
山下:でも賞をとってるんだよね?(第1回)東京国際(映画祭)のヤングシネマ部門で。
−その時の審査員がベルトルッチで、「創作意欲を刺激された」といって評価したそうですね。
で、『ションベンライダー』と『台風クラブ』をジャームッシュが観て、『ミステリー・トレイン』に永瀬正敏と工藤夕貴を起用したりとか、相米映画、実はかなり世界映画に影響をおよぼしていると。
 

ええと、話を戻すと『リンダ―』の時に『台風クラブ』が活かされたようなところがあればという話だったんですけど。
山下:活きたところは…実は雨降らしも参考になるかなぁと思って観たら全然参考になんなかったんだ、あの極端な雨の降らせ方は(笑)。改めて見直すとすごくウソ臭い雨なんだよね、相米さんの雨の使い方って。
ああ、なるほど。でも、山下さんの手法の特徴で、雨降らしのところもそうなんですけど、すごく段階を重ねますよね。例えば恵(『リンダ―』の主人公のひとり。ギター担当。香椎由宇演じる)の夢に入っていくところをとってみても、丁寧にカットごとに出来事を重ねていって全体のシークエンスを周到につくっていくという。それはやっぱり山下さんの映画の生理になってますね。
山下:ああ、確かに…『台風クラブ』で唐突に商店街でオカリナを吹いてる二人組とか出てくるじゃん?俺はもうああいうのが不安でしょうがないんだけど、出すとしたらね、思いついたとしても。相米さんが面白いのは、あれをワンカットでやっちゃうじゃん。つなぎ目がない状態でやっちゃうってところが上手くいってるところだと思うんだけど、俺はああいうのできない。もしかしてやってるニュアンスは近いのかもしれないけど、俺らの方が回りくどいよね、単純に。
−あれはね(笑)あの二人が背中がくっついてて…とりあえずどんな状態なのか分からない。しかも言ってる台詞も何だか分からない。「オカリナは、朝吹くものなんです」って言って思いっきり真夜中に吹いてる。台風でずぶぬれの工藤夕貴も「私にもそれやらせて」って、お前それどころじゃないだろう、いまの状況は!(笑)
山下:『雪の断章』でも、変なピエロが入るの。途中でキラキラキランとか(笑)。あれに別に意味を求めないけど、面白いからありだと思うんだけど。オカリナのとこも久々に観たらビミョ〜な感じがしたね。ああいうことやりたい気持ちもすごいわかる。わからんでもない(笑)。

−80年代の日本って、変な映画ってわりといっぱいあったような気がしますね。『台風クラブ』と同じ年に公開されている澤井信一郎の『めぞん一刻』も変な映画なんですよ。あれも一番最初に変な人形が大写しで川に流れてきて「パコン」って顔が破裂したみたいになるんです。それが何なのかは分からない。

山下:説明は一切なし?
−一切なし。「とりあえずやってる感」がありますね。僕らのイメージだと澤井監督は正統派な大監督だと思ってるんだけど、でも『めぞん一刻』ってやっぱり変な映画。澤井監督としては変なことをきっちりとやろうとした映画なのかなとは思うんですけど。
山下:俺、観てないんだ。
−あぁ、それは是非。
山下:観たほうがいい?
−相当ヘンですよ。五代くんが石黒賢、一条さんが藤田弓子、四谷さんが伊武雅刀で、キャスティングがけっこう絶妙なんですよ。でも一番肝心な管理人さん役が石原真理子でずっこけるという。いきなりミュージカルシーンになったりとか。変な鳥居が出てきたり。で、やっぱり田中陽造脚本なんですよね、これが。
山下:そうかぁ。80年代が一番観てないかもしんないな、日本映画。 
 

−80年代の日本映画で変な映画が多いというのは、どういう事なんだろうって考えた時に、当時の映画産業内の製作状況とか日本の映画の抱えていた問題がどういうものだったのかっていうのは分からないですけど、以前、黒沢清監督が『ドラマダス』っていう関西テレビの枠で深夜のドラマをやった時、「あの枠はプロデューサーが面白そうだなって思うやつにぼんぼん撮らせるっていう自由な枠としてやってたみたいなことがあってよかった」んだと。90年代の話なんですけど。だからわりとバブリーな感じでみんなやりたい放題できてた時代なんじゃないかというのがあって。あるいは投げやりに(笑)。それからすると、今はどうなんでしょう。その業界の真っ只中にいる山下さんから見たらどうですか?
山下:そう言われると、今の人って俺も含めてだけど、みんなやりたい放題やってないよね。やりたい放題やってそうで実は一番やってないっていうか。みんなきちっとするクセがある。
やっぱり一本一本が勝負っていうのがありますからね。
山下:そうだね、そう。俺らの流れとかは『鬼畜大宴会』から始まったけどあれが一番きちっとしてるもんね、映画としてはさ。なんか滅茶苦茶やってるって言われてるけど、あそこまでしつこくきちっと撮った映画はあんまりない。柴田剛(映画監督。山下監督とは大阪芸大で同期。卒業制作で撮った『NN 八九一一零ニ』が話題に。新作『おそいひと』が待機中。)の映画とかも滅茶苦茶って言われてながらも全然俺らのよりきちっとしてるしね、ある意味。
−『NN一八九一一零二』も『おそいひと』とか、映画になってますもんね、ちゃんと。
山下:そう、『NN』もすごくきちっとしてる。

−でも時代の状況というか如何ともし難いものがあるじゃないですか。全体的な状況、空気というか、今は一本一本作る時にそこまで…。

山下:単純に社会の状況もあるけど、ああいう滅茶苦茶さがなんとなく自分たちの中でもう古いもんだと思ってる感覚はあるよね。例えば商店街でオカリナ吹いてるシーンってたぶん俺の世代は古いと思ってる、どっかで。
−作り手の側が?
山下:そう。それはあるんじゃないかなぁ。実はああいうことを今、何の抵抗もなく作っちゃう人がいたら「あ、おもしれぇ」って思えるのかもしんないけど。なんか違うんだよな。で、ああいう大らかさはないよね、俺らに。塚本晋也を観て「おもしれぇ!」とか、シコシコやって積み重ねていくような映画が好きだったから。ああいうサラッとやっちゃうというか大らかにやっちゃうことに対する感覚の違いはあるな。

そういう意味では、お金の使い方を知ってる人が多いんだと思う。黒沢さんが話してくれた相米さんの逸話で、『セーラー服〜』の撮影時に、助監督に(銃で撃って粉々にするための瓶を決める時)何種類かの瓶を並べさせてどれにするか選んだんだって。そのなかで他のに比べて明らかに値段が高いのがひとつあって、「この瓶で一番高いやつはどれだ?」「これです」って言ったら「これ、集めろ」っつって一番高い瓶を割らせたっていうエピソードを聞くと…黒沢さんは「あれは間違ってるんじゃないか?」って言ってたけど、それもわかるし、だけどそういうことをやれちゃう感覚も想像がつかないから羨ましいなぁとも思うし。
−今では考えないような感覚があったことは確かですよね。もっと前に時代だと、明らかに助監督とかが撮るようなシーンの間に挟む捨てカットでも「これはダメなカットだ!気合いが見えん!」ってダメ出しが出るみたいな…
山下:相米さんの世代ってそれすらもバカにしてる感じがあるね。
−「一番高いのを壊してやるよ」、みたいな。
山下:すごく感じるね。昨日、向井(向井康介・シナリオライター。山下監督作品のほぼすべてに脚本で参加。現場では照明を担当することもあった。山下監督とは大阪芸大で同期。他の脚本作に『青い車』(奥原浩志監督)など。)ともそういう話をしてたんだよ。向井が一昨日ぐらいに荒井さん(荒井晴彦・映画雑誌「映画芸術」(季刊)編集長。脚本家、監督)と対談したらしいんだけど、『リンダ―』も観てくれていて、まぁまぁ面白く観てくれたらしいんだよ。でも「お前ら(アメリカン)ニューシネマ、ニューシネマって言ってるけど全然ニューシネマじゃねぇよ!」って言われて「すいません!」って、そういう感じだったって(笑)。黒沢さんがそういうふうに「あの人はダメだ」とか、榎戸(榎戸耕史・映画監督、プロデューサー。相米組の名助監として活躍、『台風クラブ』にも参加。監督作に『ありふれた愛に関する調査』など)さんは榎戸さんで伝説の現場の話や武勇伝語ったりとか、語り草が多いって聞くし。それは確かに映画にも表れてて、ワンシーン・ワンカットとかをはじめとして、あの人は語ることが多いんだろうな、という。
−エピソードがほんとに豊富なんですね。有名な『ションベン・ライダー』の一番最初の長回しのアクションのところで一箇所だけ切れてるとか、そういうエピソードは今の僕らでも語ってる。
山下:良いも悪いも話すことが多すぎて、結局その真意は分かんないんだよね。みんな思い出としては語るんだけど監督の狙いはこうだったってことははぐらかしてる気がする。だから途切れなくずーっと生きながらにしてまた語られ続けるというのもあるし。
  

−今回は、『台風クラブ』と『リンダ―』がどこかしらで共通していながらも断絶が明確にあるということを考えて山下さんにもお話を伺っているんですが、どういうことかというと、相米慎二という作家にまつわるエピソードとか伝説と一回切れたところで相米慎二の映画を観直すということを僕らはやってきているんだと思うんですよね。相米慎二っていう人は誰なのか分からないうちに観ることからはじめて。で、『リンダ―』が真似しているとか似てるっていうことではないと思うんですよね。何か通低するものがあるんだと。それは『台風クラブ』と『リンダ―』のだけの話ではなくて、たぶん映画が持ってる、映画だけが表しうるような魅力がそれなんだっていうことです。それがなかなか言葉にできないところなんですが、とにかく観てくれよっていう意味で上映をするんですけどね。そういう「映画そのもの」をやっぱり出していきたいと思ってます。
山下:でも今観るとあからさまに映画の塊みたいなさ。結構サラッとやってるふうなくせしてやってることは俺らよりもあからさまな映画をやってるっていうか。そのへんは『リンダ―』は違うと思うんだよね。まだそのへんの“映画をやるんだ”という葛藤はあったと思う。『リンダ―』の時のテーマは、カメラマンとは「とにかく普通に撮ろう」っていうことを言ってたから。「かわいい4人の女の子が出てきてバンドをやるっていう話だけなんで、普通に撮りましょう、過剰にやることはないですね」っていう話はして。
作家性や特異性みたいなものはいいやと。必要ないもんは排除していこうと。
山下:『台風クラブ』ってめちゃくちゃ普通じゃないよね?全カットおかしいぐらいの勢い(笑)。だからそこは決定的に違うんじゃないかな、作る側の意識としては。だけど観た人の感想で「『台風クラブ』を思い出した」とか、それはたぶん雨降らしとかっていうこともあると思うんだけど…なんなのかね?
−うーん、山下さんが意識することではないんだと思うんですけどね…
山下:『リンダ―』がね…まだ自分の感覚が追っついてないんだよね。『リンダ―』ってどんな映画だったんだろうな?っていうか。「普通に撮りましょう」っていうのをテーマに普通に撮って…。要はプラモデルのパーツを設計したのは俺とか向井とか脚本の宮下(和雅子)さんなんだけどさ。とにかくパーツはガーって考えて、それを俺は設計図通りに組み立てていった感じで、でも設計に携わってるから正直作ってる時はそんなに苦労もなかったんだけどさ。それでプラモデルが設計図通り完成しましたとなったら、なんか単純に今までとは違う反応がいっぱい来たからさ。「俺の作ったあのプラモデルはなんだったんだろうな?」っていうかね。『リアリズムの宿』までは粘土細工だったんだよ。もちろん向井とかも一緒になって俺らが手で作っていく感じがあって。例えば「粘土でガンダムを作りました」みたいな感じがすごいあった。今回は最初から“ブルーハーツ”と“女子高生”と“コピーバンド”です。で、ペ・ドゥナがいます、音楽でJames Ihaがいます…っていう設計図とパーツが何かしらあった感じなんだよね。それを俺は組み立てていただけのような感じがどこかであって。それが自分の想像を超えた反応があったから、自分がまだ追っついてないんだよね。すげぇ情けないんだけど。相米さんはそういうことなかったのかな?

−料理の世界だったら、素材の良さを最大限に活かすのが一番いいっていうことだと思うんですよ。良い素材を使ってその素材の味を殺さないように作れば一番いいんだと。『リンダ―』は映ってるものがよければいい映画になるということだけに意識が向かっているんだと思ったんですね。そこに革新的な目をみはる要素が必要か?と言えばいらん、と。組み立ても映る素材を活かす構成をしてるわけだから、必要ない物語はなくなっている。そういう意思があるということだと思うんですよ。良い素材がちゃんと映ってればそれでいいんだと。だから、いま生きている女の子がちゃんと映ってるし、映画としても現在的なんです。それは映画が映すのは「現在」でしかないという原理、それにさからわずに最大限それを出そうという。だから、「傑作!」とかではなく、さっき出てきた「普通の映画」にほんとになってるということが素晴らしいんだと思いますよ。「普通の映画」って、最近本当にないんですよ。

山下:素材がよかったのかもね。素材がいいからああいうふうに撮るしかなかったっていうか。もしかしたら相米さんも『台風クラブ』でそういうところがあったのかもしんない…でもどう見ても子どもが好きとは思えないから(笑)、どこかで素材を信頼しきれてないところがあるんだよな。あの人も疑いから入っている人かもって思う。『台風クラブ』も「コイツは面白いからコイツ撮っときゃいいや」じゃない撮り方をしてる。

荒井さんが「結局、相米っていうのは何を撮るかの監督ではなくてどう撮るかの監督なんだ」みたいなことを書いていて、結局、相米さんもはっきりこれを撮りたいんだということではなくて、この役者がいて、じゃあどう撮るか?という発想なわけで。だから『風花』は普通に撮っちゃったじゃん。相米慎二を観続けてると「あれ?なにこれ?」と思うんだけど。
−「映画作家」という存在の捉え方の問題じゃないですか?映画において「作家」というものの意味がよくわからないまんまじゃないかと僕は思うんですが。もっと言うと、「映画」がどういうものであるべきかということをその時々の作品で示していっている人が「作家」だと僕は思っています。「監督」とは位相が違う。

ものを作ろうと思い始めた時から、自分の存在を刻印したいっていう気持ちは映画を撮ろうという時に絶対あるはずだと思うけど、映画というのはたくさんの各部署のスタッフがいてキャストがいてつくられているものでもあって、社会的には映画は製作者(プロデューサー、あるいは製作した会社)のもの(つまり「監督」のものではない)だということもありますよね。そう考えていくと、やっぱりなんだかわからないんですよ、映画って。「作家」のものとして見られる事がほとんどだけど、その時々の捉え方で全然違ってくる。

相米慎二は、そういう映画(産業的な商品としてつくられる)のもやもやしたところに「このやろう!」って切り込んでいったんだと思います。主に僕らが語るような80年代までの相米慎二の表現というのは、映画の外の周りの状況やなんかに向けた刃(やいば)なんだと。どういうことかというと、相米映画のわかりやすい見た目のダイナミックさも、現場にいるキャストの子供に向けたものというよりも、「いわゆるコドモの映画」をつくらせようとする何ものかに対するムカっ腹がそのまんま現場監督としてのアクションになっていたんじゃないかということ。「子供のアップを撮らない」とか、反撥ですよね、既成の考えに対する。

でも状況がだんだん変わってきて、それまでは見える相手に矛先を向けられたんだけど、90年代以降、徐々にそういう対象が見えなくなって、どこに何をぶつけたらいいかというのがすごくわかりにくくなってきたということがあったんじゃないか。反面、プロデューサーをはじめ、純粋に「相米慎二の映画をつくりたい」という人が集まってくるようになって、予算は少ないけれども、わりあい融和的な環境で映画をつくる良好な関係性が周囲に出来てきたこともあって、表現が変わったんじゃないですかね。だから、反発や挑発じゃなく「映画をつくろう」というベクトルでやっと作れるようになり始めたんじゃないかと思うんですよね。『あ、春。』や『風花』で…そういうふうに考えると、80年代から90年代の日本映画の内実の変化というのが、そのまま出てきているようにも思えてくる。
    

山下:でもね…『台風クラブ』からどう影響を受けたかっていうことで分かんないって言ったけど、『リンダ―』で湯川さん(湯川潮音・シンガーソングライター。05年8月にメジャーデビュー。『リンダ―』の中で『Amazing Grace』『風来坊』を歌った。)に出演を依頼してた時、クランク・インの一ヶ月くらい前に「出演に不安を感じていて…」って話になって、「やべぇ」と思って事務所で会ったんだ。その時に潮音ちゃんが「私はミュージシャンなので役者はできないし、私はこの映画に向いてないと思います」と。シナリオ読んだ時点でそう思ったみたいで。
シナリオは完成稿により近い形だったんですか?
山下:ほぼ完成稿の時。それで、言ってることもすごいわかる。「これからミュージシャンとしてやっていきたいので」っていうことなんで。すごく才能のある子だからそれもわかるんだけど、でもやっぱりあの声が必要だと思って必死になって潮音ちゃんを口説いてる時、引き合いに出したのが『台風クラブ』だったんだよ。本当に焦ってたんだけど。

『リンダ―』の雨のシーンでやったことは『台風クラブ』とは多分別の雨になっていると思うんだけど、作る前に何がやりたかったかというと、とにかく最後はわけわかんなくしたいってなって。結局台風が来て、雨が降って、外で踊って、でもそこに別に意味はないっていう。そういう混沌としたものにしたいんだよねっていうふうに潮音ちゃんに言ったら、「はぁ、それ観たことないですけど、わかります」って言ってくれて、それで出演OKもらったんだ。あそこではじめて『台風クラブ』という名前を出しちゃったと思う、現場の中で。役者を目の前に演出じゃなくしゃべってる時って、監督としての責任感が出てきて必死になっちゃうんだよね。そういう時に自然に出たのが『台風クラブ』だったな。あれをそのままやりたいっていうんじゃなかったんだけど、ああいう混沌としたものにしたいと。結構本音だったなっていう気はするなぁ。
−いやぁ、今の話を聞くと、『リンダ―』に湯川さんが出ててほんとによかった。
山下:うん。逆に潮音ちゃんが出てることによってわけ分かんないからね、あの映画は(笑)。それを出したかったっていうのはあった。

−重要な役だし、映画に幅が出てますもんね。

山下:でも荒井さんには「あそこであのコらに歌わせちゃダメだよ」って向井が言われたみたい。「俺だったら日本人の女の子3人が寝坊してペ・ドゥナがあそこのステージで場をつなぐんだよ」って(笑)。まぁまぁまぁ(笑)。荒井さん的には、ペ・ドゥナが真夜中に体育館にひとりで行ってメンバー紹介をして独白するじゃん?あそこが一番グッときたんだって。で、あそこから下がりっぱなし(笑)。「あそこで終わってんだよ、あの映画は!」って話で。「ペ・ドゥナはいいキャラクターだからペ・ドゥナに何か見せ場を作ってやんなきゃダメだったよ」と。こっちは「そんな発想はこれっぽっちもなかったっすね」っていう感じだったんだけど。
−確かにそれだと全然違う映画になりますね(笑)。
山下:なるよね。
−ペ・ドゥナ、特別扱いしないというのがいいと思うんですけどね。
相米慎二はスタッフもキャストも現場自体も自分の迫力で追い込んでいくというのがあるんですよね。たぶんそれで自分自身も追い込んでたんだろうなっていうのが感じるんですけど。
山下:何十テイクもやらせるとかってあるわけじゃない、相米さんって。一日中リハで終わるときもあるって聞いたから。それって監督としてはすごい辛い。相当体力要るんだよね。それは自分を追い込んでるということでもあるし。だからSなのかMなのかよく分かんないんだけど(笑)。俺の場合、10テイク撮ったらもう分かんなくなってきちゃうんだよ。で、噂に聞くと役者の芝居を見ないで後ろを向いてる時もあったんだって。

背中で聞いてるみたいな。「あー違う違う」とか。『風花』ぐらいから役者に対しての接し方が変わったって聞いて。想像だけど、役者との距離感が変わってきたんじゃないかな?すごい離れて見てるところから…。『風花』をもし20年前に撮ってたら全然違うようになってたと思うし。
−『リンダ―』は山下さんがそういう力を抜く作業を意識的に経過したということだったと僕は見て取ってますよ。ストレートに「これってただ単に映画だよね」って言えちゃう映画を撮る。シンプルなものほど強いし、やっぱり次にどういうものを撮っていくのかものすごい楽しみになる。まぁ、それはこっちが欲求しすぎという感じもします(笑)。
山下:いや、俺も最近煮詰まってるけどね、本当に。
−いや(笑)でもこの前のミルクマン斉藤さんとも言ってたんですけど、何を撮るのかではなくてすでにあるもので撮っても映画はできるものなんだっていうね。何を撮ってるのかって後からわかってくるときもある。
山下:でも最近なんか俺、無意識にやりすぎた感じがするよな(笑)。自分の首を絞めてる感じがすごいしちゃってさ。
    

−『リンダ―』で学校の校舎を撮ってる時っていうのはどうだったんですか?
山下:あれはね、俺よりもカメラマンの方がああいうところが重要だと思ってたわけ。例えばラストの “終わらない歌”にかぶる雨の降ってる校舎はカメラマンがすごい意識したって。俺は自分が情景撮るセンスないと思ってるし。俺って本当にダメだから。完全に画で勝負っていうところはカメラマンに任せたんだ。でもああいうところは重要だっていうのをカメラマンは推進してたし、暇を見つけては撮ってたね。でもああいうとこ気づいてくれてた?誰も映ってないようなところがいいって。
あれがよかったんですよ。やっぱりあの学校全体のテリトリー自体がすごくよかった。
山下:よかったよね、あの学校がね。
−なんか変なポッコリした空間が切り取られているという感じがすごくしたんです。
山下:ミルクマンさんも「学園祭を撮ってない」って言ってたけど、ほんとそうなんだよね。撮ってないなぁと思って。劇中で学園祭をドキュメンタリーで撮ってる二人組の映研のやつらがいるんだけど、あいつらが撮ってるシーンはあったんだけどね、学園祭自体は。そこはもう全部切っちゃったから。

−背景というか、備品室とか楽譜をコピーするのを待って座ってる階段とか、ああいう場所がすごくよかったんですよね。学園祭そのものじゃなくて、学園祭の裏側、むしろ人がいない場所の方がよく映っている。真夜中にぺ・ドゥナが歩く誰もいない屋台が並んだ道とか。

山下:『台風クラブ』もだって…あぁそうか。前半は普通に授業やってる学校に生徒が来てるんだ。
−『台風クラブ』の場合は学校だけじゃなくて映ってる世界そのものが別物みたいな感じがする…
山下:ありそうでないというか。団地も変だもんね。唯一普通なのが尾美としのりのアパートだよね。あそこぐらいじゃない?普通なのって。
−たしかにそういう場所の見え方なんかは共通するところはあるのかな?というのは今話してて気づきました。
山下:実は『リンダ―』作ってる時に、別に今の女子高生って面白いとか今の女子高生を撮りたいなんて俺はこれっぽっちも思ってなくて。今の女子高生の話を作るんだったらリアリティは必要だなって思って考えざるを得なかった。決して女子高生を魅力的に思うとかいいものとして捉えてなくて、「面白いのか?今の女子高生」みたいな感じで全部疑ってて。で、ペ・ドゥナっていうある意味での「飛び道具」も考え出したり、潮音ちゃんを出したり、山崎優子を出したりとかいろいろやってるんだけど…、相米さんもそういう気がするっていうか。中学生をさして面白いものとは思ってないというか魅力的なものとは思ってないから、中学生のやり方がギリギリのリアリティはあるんだけどやっぱ変なものとして扱ってるっていうか。けど、徹底してやってるんだけどね、『台風クラブ』を観ると。
−だから、やっぱりクライマックスの真夜中の雨の中でみんなで下着だけになって踊り狂ってるところとかって…
山下:寄らないよね?
−ずっと引いてるんですよね。人間でさえない…(笑)
山下:あそこで「中学生っていいなぁ」って思えた監督はたぶん寄って表情とか撮るんだけど、一切寄らないじゃない?結局あれは相米さんが美しいとも思ってないという、すごくそういう気がする。やっぱ気持ち悪いよね、あの距離感って。最後死んじゃうし。(笑)。
−僕ね、死んでないんちゃうかってずっと思ってたんですよ。でも死んでる死んでないというのはこれ、実は分かんないんだ。地面に刺さったまんまほったらかしてる。「これが死だ!」って言ってダイブするところの一番最初の僕の印象は、逆V字になってるから『犬神家の一族』…
山下:そうそう!『犬神家の一族』のパロディーっぽいよね(笑)。
−おいパロディーなのか?!っていう(笑)
山下:犬神家かよ?!みたいな(笑)
最後の最後だけ中学生っぽいけどね。明と工藤夕貴が登校するシーンだけが唯一中学生っぽいんだよね。最後の最後に相米さんは中学生らしいものに追いついたのか分かんないけど、あそこはいいラストシーンだなって思った。そういう意味では相米さんよりかは『リンダ―』の方が対象に距離的には近づいてるけどね(笑)。やっぱ高校生っていうことで。もし『リンダ―』が中学生の話だったらもっと引いてると思うんだけど、女子高生ってもうちょっと大人だし。もうちょっと俺の話が通じるから結構近づけたところはある。ペ・ドゥナなんか24、5才だし、ペ・ドゥナをピンで撮ってる時ってもう女子高生でも何でもないもんね。“ペ・ドゥナ”で芝居してるっていうか。部室を抜け出して一人で踊って体育館に行くあたりとかは、“女子高生”とか関係なかったな。
    

−実は、せっかくの機会なので、山下さんには二つ撮って欲しいものがある、というのを言っておこうと。
山下:ハイ(笑)。
ひとつは、たぶん観てる人はものすごく少ないと思うんですけど、山下さんの作品の中で『よっちゃん』というのがありまして…
山下:はい、はい。問題作ね(笑)。
−大阪の現役素人小学生を使ってフィクションを撮るという20分ぐらいの作品があるからいうんですけど…きちんと小学生モノをぜひ。
山下:いやぁ…でも『よっちゃん』はやりたいんだよね、もう一回。俺も向井もあれでビビっちゃったからなかなか手をつけないんだけど。あれはやり方を間違ったけどテーマとしては間違ってない。絶対エンターテインメントになると思ってるんだけどね。

−『よっちゃん』は評価がぱっくり割れてますよね。

山下:いや、もうほんと大失敗作。あれはもう封印した方がいいって意見もあるし、逆にいましろさん(いましろたかし・漫画家。なさけない男たちを描き続ける孤高の劇画作家。「コミックビーム」で『釣れんボーイ』連載中。)は気に入ってくれて「あれ、おもしれぇよ」とか言ってくれたんだけどね。すげぇうれしい反面、一番出来の悪い子だからさ(笑)。
−僕もすごく面白かった。どこがと言うと、明らかに山下さんはじめとして撮影クルーと素人小学生二人とのコミュニケーションが成り立ってないというのがそのまま映ってるっていうスリル (笑)。
山下:(爆笑)まんま撮っちゃったっていう。
−それでも編集でなんとか作品にしようとしてる必死さがモロに出てて、山下さんがナレーションで話をまとめようとしてるんですけど、めっちゃ焦ってる(笑)。ナレーションなのに焦ってるという、あれは新しいですよ。
山下:ちょっとだけ強くなったよ、あれ作って。…ヘコんだけど。お蔵入りっていうのもありかなって思ったけど、完成させてよかった、逃げたくてしょうがなかったけど。ちょっとだけ懐が広くなった気はするんだけどね。だけど今、あの時の痛みをちょっと忘れてるとこはある (笑)。もしかしたら今一番必要なのは『よっちゃん』かもしれないね。今、3本準備してるけど…最近スケジュール詰め込み過ぎてさ、訳わかんなくなってストレス溜まって、向井の家に行ってたんだけど、向井が言うには「お前、とりあえず一回失敗しろ!」と(笑)。あ、それはもう一回『よっちゃん』やれってことか?って思って(笑)。当たって砕けろじゃないけど。「無理やり失敗しろとは言わないけど、やってみりゃいいじゃん」って。
      

−もうひとつはジャンルですが、『リンダ―』の後には絶対ホラーだと思ったので…
山下:ホラー?
ホラーと言うか、ゾンビ映画。人間が全部食われちゃった後のゾンビだけしかいなくなった世界はどうでしょう…という僕の勝手な要望ですけど。それを2時間の長編で。
山下:まぁ『腐る女』(※山下監督が大阪芸大在学時に撮った10分の16ミリ短編。)はそういう映画だしね。ほとんどゾンビしか出てこないっていう。腐るしかない。
−ロメロ(ジョージ・A・ロメロ。ゾンビマスター。『ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド』『ゾンビ』『死霊のえじき』につづくゾンビシリーズ久々の続編『ランド・オブ・ザ・デッド』を今年発表。)の『ランド・オブ・ザ・デッド』が公開されて、堂々たる映画だったというのがあって。で、観た後に街中に出たらやっぱりみんなゾンビに見えた (笑)。
山下:(笑)あー、そうだね。それはあるかもしんない。

−山下さんはどうでした?巨匠のシリーズ最新作。

山下:でもゾンビっていう名を借りた全然違う映画だったね『ランド・オブ・ザ・デッド』って。あれはもうある意味つっこみどころ満載じゃない?ゾンビとしては。
−観てる間が無性に楽しい映画でした。アクション映画として。カーペンターみたいで。
山下:印象としては、ロメロのゾンビってルーツだとは思うんだけど、もうロメロ自身の手によってゾンビ映画じゃなくなったような気がする。あれはB級って言っちゃB級かもしんないし、カーペンターって言っちゃカーペンターなんだけど、ロメロは(ゾンビの)次のことをやってるんだなって気はすごくしたけどね。
だって『ランド・オブ・ザ・デッド』のゾンビを見て思ったけど、あれは人間勝つもん、がんばれば。あんな状況になんないと思ったもん。ほんとに別の世界の話だし。『ゾンビ/ドーン・オブ・ザ・デッド』までは人間とゾンビが半々ぐらいの世界じゃん?
−『ランド・オブ・ザ・デッド』はゾンビが制圧しかけてるような状態っていう設定ですよね?
山下:そんな感じがちょっとあってさ。あれだけ武器もあって人間もまだあれだけ生きてて、それでゾンビを退治できないってのはまずそこに一番のツッコミどころがある。そこをロメロがどう考えてるか分かんないけど、そこがまず一番の矛盾だから。じゃ何やりたかったかって考えたら、印象として残ってんのはカーペンター的なことなんだよね(笑)。ゾンビになったジョン・レグイザモとかさ、「なんだその男気は!」とかさ。結局人間ドラマになってるわけじゃん、最終的に。最後ゾンビを殺さないし。『死霊のえじき』の時はバブが最後に生き残って、気持ち悪い師弟関係というか奴隷関係というかそういうのあったけど。今回はより一層変だったなぁ。ゾンビじゃなかったもん。しかもリメイクされた『ドーン・オブ・ザ・デッド』とか『28日後...』とかってゾンビなんだけどある意味動物じゃん?野犬が何千匹襲ってくるって映画と変わんない。でもロメロのゾンビは人間が屍になったっていうことに重点を置いてる。だからえらいテンポ遅えよなとか思ってたんだけど。
−昔のゾンビは本当にダラダラしてましたよね。
山下:うん。だけどなんとなくリアリティがあったっていうかね。今の『ドーン・オブ・ザ・デッド』はもう負ける気しなかったもんな全然、人間の方が。あいつらは絶対生き延びると思ったしな。
−それで最後に黒人の知能をつけた一人目のゾンビを射殺するのをやめて…。「あいつらも居場所を探してるんだ」って銃を降ろさせて。
山下:なんなんだよ!?っていうさ。人間と目線が同じなっちゃったみたいなさ。
−共存を匂わしてますよね。敬意を表してるのかなんなのか。
山下:昔はロメロのゾンビって人種差別によく例えられて、あれを黒人って言ってたけど。全てが平等になったときに何が…、結局それぞれ勝手にやっていこうぜって話なのかな?(笑)ロメロの境地としては。「人種差別もなくなってきたからお互い好きなとこでやってきゃいいんじゃねえの?」っていう。今回ゾンビのメインキャラってあかさまに黒人だもんね。
−山下監督にゾンビ映画を、というのは、どうしようもない、ただひたすら観るしかない、みたいなゾンビを観たいということなんですよね。やっぱり『リンダ―』を観た時にそれを思ったのは、ゾンビじゃないですけど、ただ「観る」ということに賭けられる映画だったからというか。『リンダ―』は女子高生だから瑞々しい映画になってますけど、逆にゾンビが出れば殺伐とした干からびた映画になる(笑)。『ランド・オブ・ザ・デッド』で言えば、それまで水に入ることが出来なかったゾンビが水に入れたっていう部分とか。川を越えて浮かび上がってくるあのショットのかっこいいこと(笑)。
山下:集団で移動してくんだよね(笑)。
−あれ感動しましたよ。
山下:民族大移動みたいな。そこで2時間でも面白いんじゃないか。あの黒人のゾンビがいろんな仲間がバタバタ死んでく中で最後着いたらたまたまガソリンスタンドがあってずっと給油してる (笑)。結局給油かよ!?って。悲しいけどね。
−ゾンビというのはあるひとつの世界の見方を表現したものとして見られてすでに久しいわけですし、実はそれって、『リンダ―』で山下さんがあの4人の高校生には全く感情移入できないけども「普通の映画」として撮るということ。一方で相米慎二はマンガの原作ものやアイドルの企画物からしか最初は撮れなかったし子供が嫌いだったかもしれないけど、『台風クラブ』っていう不思議な映画を撮るということ。それぞれ状況は違うけれども、一貫して批判的に(疑いを持ちながら)映画をつくるということが、必要なんじゃないかってことなんです。だから相米慎二を断絶を経た上で継承するというか、僕らは相米慎二の映画を何とはなしに観ることからはじめて今、相米映画から新たな可能性を見出しうるんじゃないか。こういうことを考えるということをどんどんこれからもやっていきたいなと思います。だからゾンビも実もつながってると。
山下:すごいつながりだ(笑)。
【完】
      

2005.09.16 JR高円寺高架下の飲み屋にて
     取材・構成:田中誠一 協力:田中裕子、楠目友宏