田中:ピクシーズというアメリカのオルタナのバンドが2004年に再結成をした際のツアーをドキュメントした映画『LoudQUIETloud』が、東京で2月3日から、大阪が2月10日から公開となります。そのあと関西は神戸(2/17〜)・京都(3月予定)というふうに展開していきます。

で、いきなり告白めいたことを言ってしまいますと、僕はピクシーズ、この映画の話をいただくまで全然知りませんでした(笑)。一体なんなのか分からない状態で、チラシのビジュアルもカッコいいし、なにやら面白そうだというので、『LoudQUIETloud』の大阪ブッキングと宣伝を引き受けることになったというのがリアルな事情です。

でも、僕の戦略としては、青木くんがピクシーズをよく知っているということなので、いろいろ教えてもらいながらやっていけばいいかなぁと。こんなことでいいのかどうか分かりませんが(笑)。

ということで、年末にドルビーサラウンドをカスタマイズしたPLANET+1で早朝爆音内部試写をしたので、この映画のポイントを出していこうかと思います。で、まず、ピクシーズというのはそもそもどういうバンドなのかというのを教えて下さいっ(苦)!



青木:そうですね、まずピクシーズはボストン出身の、80年代末に結成されたバンドです。93年に解散するまでに4枚のオリジナルアルバム(+ミニアルバム1枚)を出していて、いわゆるグランジムーブメントの最初期に出てきた。グランジムーブメントの火付け役だったと聞いてます。僕は当時を体験してないので、そこらへんのことはよく分からないんですが…。


田中:
青木くんがピクシーズをはじめて聞いたのはいつ頃なの?



青木:
はじめてピクシーズを聞いたのが高校生のときでしたから、もう10年近く前。



田中:
えっ、高校のときから聞いてたの?



青木:
聞いてましたよ。どのアルバムから聞き始めたのかはちょっと覚えてないんですけど、はじめて聞いたときの印象は、正直に言うと、あまり強くなかったです。「変わった音楽だな、なんか聞きにくいな」っていうくらいでした。

それでも、1stアルバムの『SURFER ROSA』はすごく好きになりましたね。これはプロデューサーがスティーブ・アルビニ(※註)だったということもあるんですが、それ以降のアルバムはプロデューサーも変わってしまって、音がガラッと変わってしまったので、3rd以降はあまり好きではなかったです。音もペラッペラで薄いし、基本的には2ndとあまり変化がなかったし。今でも1stと2nd以外のアルバムは好きではないです。

ただ、ライブ盤はよかったんですよ。『Pixies at the BBC』というアルバムなんですが、これはタイトルからも分かるように、BBCのラジオ番組でのスタジオライブを一枚にまとめたやつなんです。ほとんど2ndまでの代表曲が収められてるんですが、どれも元の曲よりはるかにいいんですよね。音もずっと分厚くなってて、一発録りなのにより洗練されてる感じで。これは今でもよく聞くアルバムです。でも当時は、なんでこうもギャップがあるんだろうかと不思議に思ってました。ニルヴァーナとかと比べると随分思い入れがしにくいバンドだなって思ってましたね。

(註*)スティーヴ・アルビニ
1962年、カリフォルニア生。オルタナティヴロックの名盤と呼ばれるアルバムのプロデュースを数多く手がけたことで有名になる。多くの作品を今までプロデュースしているが、代表作にピクシーズの『SURFER ROSA』の他に、ニルヴァーナの『In Utero』がよく挙げられる。プロデューサー/エンジニアとして有名になったが、もともとはBIG BLACK、RAPEMANといったハードコアバンドのミュージシャンとして活動していた。両バンドともとうの昔に解散してしまっているが、発表されたアルバムはすべて傑作。現在もSHELLACというバンドで活動しており、こちらのアルバムも傑作ぞろいである。ロックとは「金属」であるというのが、おそらく信条。



チャールズ・トンプソン
Charles Thompson, Black Francis, Frank Black

ヴォーカル&ギター。バンドのフロントマン。93年、ピクシーズをなかば強引に解散させてしまった後、別のバンドやソロ活動も精力的に行う。日頃はこんな穏やかな表情。ステージではこのように。1人になるとものすごく繊細に。

 
デヴィッド・ラヴァリング David Lovering

ドラムス。ピクシーズ解散後、なぜか手品師になる。ピクシーズのライブの前座でもマジックを披露(!)。趣味は金属探知…。再結成ツアーでも彼の身にトラブルが。

常に前のめり気味のドラミングは、まるで何か得体の知れぬ物に追われてるような気すら起こさせる。
 
 
ジョーイ・サンティアゴ Joey Santiago

ギタリスト。寡黙な男。このリフがオーディエンスを一気に沸点へ上昇させる。フランク・ブラックのソロ活動にもよく参加する。映画のサウンドトラックづくりなどもする。ジョーイも奥さんとバンドを結成しているそうです。男前!
 
 
キム・ディール Kim Deal

ベース&ヴォーカル。ピクシーズ活動時より、もうひとつのバンド、ブリーダーズを結成している。その奔放でおおらかな人柄とまさしく“ピクシー”な声でトンがった女の子たちのカリスマ的存在であることが映画でも垣間見られる。ステージ上での至上の悦楽の表情は見ているこちらが息をのむようだ。
田中:その後はどうだったの?


青木:それからはたまにアルバムを引っ張り出して聞くぐらいで、別にファンというほどではなかったです。

それが3年ぐらい前に、中古レコード屋でピクシーズのヴォーカルでフロントマンであるフランク・ブラック(チャールズ・“ブラック・フランシス”・トンプソン)の、ピクシーズとは別に組んでるバンドのアルバムを見つけて、安かったんで買ってみたんです。「いま何やってんだろう?」っていうぐらいの気持ちで。それが、2002年に出た『BLACK LETTER DAYS』というアルバムで、このときは、“フランク・ブラック&ザ・カソリックス”というバンドでした。

で、いざ聞いてみて、びっくりした。あまりにもピクシーズとは程遠い音楽だったんで。ものすごくアメリカンな音楽だったんですよね。「あのピクシーズのフランク・ブラックがこんなことになってる!」って思ったんです。ピクシーズみたいにひねくれた感じがまったくなくて、驚くほどストレートなアメリカンロックになってる。そのくせメロディはピクシーズのとき以上にナイーヴで。だから、この変わり様は何なんだろうと思って、それからフランク・ブラック&ザ・カソリックスのアルバムを友人と一緒に買い集めていったんです。

それで、聞いていくうちに、フランク・ブラックという人はピクシーズを忘れられずにいて、今でもピクシーズを引きずりながら音楽をやっているというのが分かってきたんですよね。アルバムの中でも重要な曲は、ピクシーズのギタリスト、ジョーイ・サンティアゴが参加しているし、歌詞はどう聞いてもピクシーズのことを歌ってるとしか思えないものがたくさんあるし。だから引きずっているというか、どこまでもピクシーズが追って来るという感じです。もう逃げることが出来ないピクシーズという過去に対して、自分はロックでどうやって決着を付ければいいかと煩悶しているように感じられました。

カソリックス名義ではアルバムが5枚出ていて、98年に出た『pistolero』(邦題『弾丸ボレロ』)を除いて、残りの4枚は2001年から2003年にかけて発表されたんだけど、この4枚は一作ごとの展開がとてもドラマチックで聞いてておもしろいんですよ。感動的に展開していくんです。98年に出たアルバムと、2001年以降の4作はまったく別物なんですよ。で、ここが不思議なところなんですけど、この人はソロで活動していけばしていくほど、ピクシーズから逃げようとすればするほど、内容が豊かになってくるんです。たぶん今ではソロの方が、ピクシーズより充実した活動になってると思います。しかも、内容が豊かになっていくほど、聞いている側はピクシーズに焦点を向けて、引き寄せられていくんですよね。

僕からしたら、ピクシーズの印象はそれほど強く残ってなかったんで不思議でした。聞きなおしたところで、やっぱり基本的な印象は変わらないのに、ピクシーズを再発見したという感じでしたね。だから僕は、フランク・ブラックのソロ活動を通してもう一回ピクシーズを見つけたという感じなんです。



田中:ということは、フランク・ブラックはその2001年から2003年にかけて4枚アルバムをつくって、2004年にピクシーズを再結成したというわけなんだね。


青木:
そうなんですよ。そこまでの展開が、フランク・ブラックの音楽にはっきり出てたから、ドラマチックで感動的だったんです。一作ごとに展開していくんですよね。それこそ、過去から逃げてた男が、逃げて逃げて逃げ回った挙句、路頭に迷ってしまい、長い苦悶の果てに、いろんな人の力を借りて、再び自我を取り戻すという物語が出来上がってしまうくらいに。



田中:なるほど!なんかそれ聞いてるだけでも感動的ですね。
それで、フランク・ブラックはピクシーズのツアーをしながらも、自分のソロの作品を発表していくということになるのか。『LoudQUIETloud』の中で、フランク・ブラックがソロアルバムを同レコード会社にどう売り込んでいくか?というのを検討してるシーンがあるよね。



青木:
そういうことになりますね。それで、ここに来てフランク・ブラックの音楽に対するスタンスが変わってくるんですよ。スタンスというか、曲に対する身の置き方ですね。カソリックスのころは、歌に出てくる主人公が、まるでフランク・ブラック自身のように思えたんです。感情が剥き出しで。

でも、2005年からのソロでは、落ち着いた曲が多くなって、それでも歌の内容は変わらないものが多いんだけど、以前のような激しさがなくて、すべてを受け入れたような落ち着きがあるんです。彼の中でピクシーズを相対化できたのかもしれません。このことは、映画の中でもフランク・ブラック自身が言ってたように、ピクシーズに対して自分自身は「準備は整っている」ということなんだろうと思います。



田中:
映画を観てて、あの曲がピクシーズの演奏の間に入ってきたから、ソロだとこんな音なのか、とは思ったよ。これ、カントリーみたいじゃん?て(注*映画でかかる曲は“Golden Shore”。フランク・ブラックのソロアルバム『Fast Man Raider Man』に収録)。それにしても、そんな壮大な道のりがあったんだねぇ、再結成には。青木くんはベースのキム・ディールがやってるブリーダーズは聞いたことないの?



青木:正直言って、映画を観るまで存在を知りませんでした。なので、映画見た後に買って聞いてみましたよ。2002年に出た『title TK』というアルバム。

それで、聞いて思ったのは、曲がまるでピクシーズみたいなんですよね。これはキム・ディールがピクシーズに与えてた影響をもろに感じられた。音もピクシーズの1stのようなどっしりとした分厚い音で。映画を観た後だったからというのもあったけど、キム・ディールも準備が整ってるように感じました。



田中:映画の中でも、メンバー一人一人がピクシーズとして集まったときに、どういうことが起きるのかをビビッドに感じているというのが、この映画の核になってると思う。ピクシーズの音楽は、メンバー個々人のキャラクターと、彼らが一同に集まったところでどういう作用が生まれるかということと切っても切り離せないものだということが、テーマになってる。

だから、ドキュメンタリーとしてはとてもクレバーでいながらストレートなものになっていると思います。僕の場合、はじめに言ったようにピクシーズについては何も知らなかったので、映画を見る前に、ピクシーズに対して何の思い入れもない状態で彼らのビジュアルをはじめて見たわけですよ。そしたら男三人みんな坊主で、ヴォーカルは巨漢でいかつくて、ものすごい表情でシャウトしてる写真なんかを資料で見ちゃうと、どんなスゴいやつらが出てくるんだろう思ってたんですけど、いざ映画観たら、ものすごく繊細で、まったくオーラを感じない連中で(笑)。



青木:
そうなんですよね(笑)。グランジムーブメントのときも、そんなにキャラが立ってる方ではなかったです。当時もカリスマ性はなかったように見えますね。バンドの曲が奇抜だったから注目されたところが大きかったみたいです。アメリカよりも先にイギリスで売れたバンドだったし。だから、映画を観る前はこんなに繊細な人たちとは思ってなかった (笑)。



田中:
みんなどこかしらに不思議な部分を持ってる存在。それこそバンドの名前の通りみんな「ピクシー」ですよねって(笑)。

僕はキム・ディールが気になって、ずっと注目してしまいました。キム・ディールには、ケリーという双子の妹がいて、ブリーダーズはケリーも一緒にやってるバンドだってことなんですけど、このケリーが再結成ツアーにキムの精神的サポーターみたいな感じで同伴してるんですね。キムが酒とかドラッグに手を出さないように。

で、バンドのリハーサルに娘が心配で様子を見に来た両親にカメラを向けてインタビューをしたり、最初てっきり撮影クルーの1人かと思ったんだけど(笑)。キムとケリーのディール姉妹の掛け合いが多く挿入されていて、その会話自体がもうダイレクトにピクシーズの状況における問題点を突いてて。ケリーがむちゃくちゃダイレクトに突っ込みまくってる。そこで浮き上がってくるものが多かったよね。



青木:
ケリーがこのバンドの状況を翻訳をしているような感じでしたね。彼女がバンドの外に立ってコメントすることが、そのままバンドの状態を表してた。



田中:
そこが彼女のとてもおもしろいところで、ケリー・ディールが自分を媒介にすることによって、この映画を掴みやすいものにしていますね。制作者のクレバーな意図が光るところだけど。それに、この姉妹がキャラたってるんだ、これがまた。



青木:
そうやって浮かび上がってくるバンドの緊張感が、この映画の一番ドキュメントの部分を表してましたね。特に何かが起きるわけじゃないけど、衝突するわけじゃないけど、お互いに関係がもつれそうで決してもつれない、このなんとも言えないテンションがずっと続いて、そのまま終わっちゃうっていう。



田中:
だから、僕がこの映画を観終った時に感じたのは、ある種のアメリカの社会の姿が象徴的に浮かび上がって見えるということだった。ああ、やっぱりそうなんだと。

U2のボノがピクシーズを「史上最高のアメリカのバンド」だと表現してて、「その通り、これぞアメリカのバンドだよな」と思ったところがあるんです。それはアメリカという国が本来持つ先進的なところ、先端的なところのかもしれないけど。



青木:
ピクシーズはやっぱりアメリカのバンドなんですよね。ピクシーズがアメリカのバンドだったからこそ持つ、ある種の物語を感じますね。



田中:
だからこの映画は、彼らはコミュニケーションが取れないということを映しているんじゃなくて、コミュニケーションをすごく必死で取ろうとしてる姿を映そうしてるんです。それこそ、滅多に会わない親戚とたまたまお通夜で会ったときのような、ぎこちなさやよそよそしさが、楽屋とかツアーバスの中、宿泊先とかで切実に見えるんですよね。

そこまでしてどうしてピクシーズをやろうとするのか、しなければいけないのかって思うぐらいなんですけど。でもライブシーンは圧倒的なものが炸裂してる。その交互の展開というものが、まさに“Loud-QUIET-loud”な感じなんだけども。

やっぱり青木くんが言うように、あの人たちはほんとに“ピクシーズ”をやりたいんだとしか言いようがないよね。



青木:
たぶん以前からピクシーズを知ってた人でも、はじめてバンドがこういう状態だったと知る人もいると思うんですよね。腑に落ちる部分と、再発見できる部分があると思います。



田中:なぜそうなっちゃうのかはわからないけども、普段緊張して硬直してる部分を乗り越えてでも、彼らがピクシーズをやりたいと思う気持ちは、ピクシーズをやることが自分たちの生きる道でしかないということなんだよね、きっと。

これまでの人生の中で、いろんなことをメンバー一人一人が各自でやってきて、次第に生きるということをそれぞれが理解出来るようになったと。ちょうどそんなタイミングで、腹をくくってもう一度ピクシーズをやろうと決意したんだろうな。年も40を回って、四十にして惑わずじゃないけど、人生をひと回りして辿り着いたのがピクシーズだったという。



ここはUFOの中ですか?いえ、楽屋です。ピクシーズの楽曲の歌詞をながめると、こういう一面もあることがわかる。ところで彼はいったい何の番組を見てるのだろうか?外宇宙と交信中?
青木:映画見てて、そこに感動しちゃいますよね。

それで、そのピクシーズの「もう一度」っていう部分で僕が思い出したのが、一年ぐらい前に公開されたメタリカのドキュメンタリーなんですよ。タイトル何でしたっけ?



田中:
『METALLICA Some Kind Of Monster』。いかにもアメリカンなドキュメンタリーだったよね。メタリカはカタルシスを生む力を持ってた。でも、ピクシーズにはそれがない。



青木:
そうなんですよ。両方とも似てるところがあるんですけど、最終的なところが決定的に違う。バンドの性質的な部分ですね、曲ではなくて。



田中:
メタリカにはモンスターバンドとして背負ってる責任がある。「俺たちが体現しなきゃいけない」っていう責任が。ピクシーズもそういう責任みたいなものを感じてる部分はあると思うんだけれども、メタリカのようにそれを昇華する力強さがないんだよね。



青木:そうなんですよね。ピクシーズはそういうモンスターな部分を背負ってる感じではないんです。一人ひとりが、それなりの物語を背負ってはいるんだけれども、それがまたちまちましてて、もうほんとに地味なんですよ。誰にでも当てはまるような、共感出来るようなことで。僕らが体験するような普通のことをこの人たちも背負ってるんですよね。取り立てて伝説化するような物語を持ってるわけじゃなくて。

たぶんこの辺りが解散したあと注目されなかった原因なんだと思いますけど。魅力的なバンドなんですけどね。ほんと、人にその魅力を説明するのが難しいバンドですよ(笑)。



田中:
そういう意味では、日本のピクシーズファンも、意外な印象をもつのかな。もちろんピクシーズ自身の映画ではあるんだけど、そのピクシーズ自体が何なのかよく分からないから。



青木:
それはアメリカに住んでいる人たちも同じなんじゃないかな。映画でもライブのオーディエンスがけっこう映されるじゃないですか。それを見た限りだと、解散後のピクシーズの各メンバーのソロを追っかけてピクシーズに辿り着いたという感じに見えなかったんで。たぶんみんな、かつてピクシーズというバンドがあって、その音楽が今でもセンセーショナルなものを持ってるから、再結成のツアーに駆けつけたんだと思います。



キム(右)とケリー(左)の双子の姉妹。ケリーは再結成ツアーに同伴。かつて薬物治療を経験したケリーが、現在アルコールと薬物依存の気のあるキムの支えとなる。この映画は、ケリーがいなかったらまったく別物になっていただろう。
田中:映画の後半にローリングストーン誌のライターがフランク・ブラックに取材してて、「新アルバムはいつ出るんだ、みんな待ってんだぞ」と突っ込むんです。けど、まだアルバムは出来てない。出来る気配もない。映画の中でも話を濁す感じ。少なくともこの映画が出来上がった段階でもまだアルバムは作られてないということですし。でもその取材のときにフランク・ブラックは「いつでも行ける。準備は整ってる。あとは他のメンバー次第だ」ってアピールもするんだけど。


青木:
自分から声掛ければいいのにね(笑)。そんなメンバーのいないところでライターをだしに使って言わずに(笑)。



田中:
なんかバイアスを掛けないと言えないというところがね、よそよそしいというかね(笑)。でも、そこって僕もすごいよく分かるんです。曲がりなりにもこういう上映とか制作とか、こっちは映画ですけど、何人か同じところを見ている人間と関係して作業をやってる者としては。もう骨身に沁みてよく分かる。いや、こういうことは映画であろうが音楽であろうが、あらゆるところで起きてることなんですよ、きっと。どうしてもこういう問題を抱え込んでしまう。



青木:映画の中でもキム・ディールが言ってましたね。「みんなが求めてるから、みんなが聞きたいと思ってくれてるから、私たちはやる」って。やっぱり能動的には出来ないっていうね。


田中:ほんとに四者四様でそれぞれおもしろいんだけど、しつこいようだけど、キム・ディールがキーパーソンなんだと僕は思いました。良くも悪くも。たぶん彼女が一番表現者としてのピクシーっぽさを持ってて、日本でいうところのフシギちゃんみたいなところもあって。たぶんブリー
ダーズもそういうところがあるバンドなんだと思う。



青木:そうですね。ブリーダーズを聞くダイレクトに分かるんだけど、ピクシーズのエキセントリックな部分はキム・ディールに拠るところが大きいですね。




坊主あたまの3人。これだけ見てたら、いろいろな想像ができますね。
田中:映画にキム・ディールの信奉者の女の子が出てくるんだけど、またこの女の子がアメリカの映画によく出てくるような、まんがみたいな典型的なアメリカのフリーキーな女の子でして(笑)。この女の子がファンを代表するようなかたちになっている。


青木:
この女の子が、ピクシーズとイコールの関係で結ばれるように作られてますね。



田中:
そのへんにも制作者意図が明確にあるよね。ピクシーズの方はそんなつもりはないんだろうけど。メッセージとしてじゃなくてメンタルとしてのアメリカという国を表現しているところがある。たまたまピクシーズがアメリカで結成されたバンドだったというだけで物語として出来上がっちゃう部分があるよね。

青木:たぶんフランク・ブラックはその自分たちのアメリカ的な部分に後々気づいたんですよ。自分のソロ活動を通して。それで、もう一度ピクシーズをやる必要があると思ったのかもしれないです。


田中:
ピクシーズが表現してしまってるメンタルの部分は、いま現在生きてる人には絶対どこかしらで触れるところだろうと思う。我々が日常暮らしてるところで関わるものに非常に近い部分があると思うんだけどな。



青木:そうですね。それは日本に住んでいようが、アメリカに住んでいようが変わらないんですよね。


田中:
現実的なところですよ。自分たちの現在と向き合わなきゃいけないところが彼らを通して見えてくるよね。その現在というのは、具体的に言うと、彼らの場合はマネーでもあるということも示される。生きるには金がいるわけで、ピクシーズが再結成するのは金銭的な理由もある。解散した後、個々人いろいろ大変だったということがメンーそれぞれのエピソードでも分かるんですが。



青木:
ドラムのデヴィッド・ラヴァリングなんてピクシーズが解散したあとは、手品師ですもん(笑)。趣味が金属探知なんて意味分かんないですよ。



盛り上がるライブ。再結成ツアーはある会場ではスピードソールドアウトの記録を樹立した(だからツアー名が“SELL OUT”)。映画は、度々オーディエンスの表情も“ピクシーズ現象の一面”として捉える。
田中:オーディエンスも分かってるんだよね。ケリー・ディールがライブ会場の前に並んでる人たちにインタビューする。「なんでピクシーズは再結成したと思う?」って。すると「そりゃ金だろ。それでもいい」と答える。ここがリアルなところでもある。だから、今のアメリカのメンタル的な部分がこういうかたちで見えたときに思ったことなんだけど、日本の場合だと、この映画を見て、こういうメンタルな部分に響かない人観客も多々いるんじゃないかと思う。あくまで予測なんだけど。


青木:そうなんですかね。


田中:うーん、今の日本は、やっぱり大多数が大きな物語を求めてるところがあるでしょう。大きな物語というのは、言い替えるとファンタジー。でもこの映画はそういうものじゃないじゃない。むしろそういうファンタジーの部分を断ち切ったときに出てくる、より日常に近いところが見える。


青木:
ファンタジーの部分を断ち切ったあとの更地のようなところで、ぽつぽつと生えてきたものが、物語として提示されてる。



田中:
小さな物語としてのピクシーズが見えてくるよね。



青木:
そう思うと、去年観たアメリカ映画には、そういう更地のようなところに生えてきた物語に、作家が全精神を賭けてる映画が多かったですよね。



田中:
確かにクローネンバーグとかシャマランとかそうだったよね。メタリカは大きなファンタジーの部分に立ち向かう勇者みたいなもんですよね。ドラクエみたいな。それで、ピクシーズは勇者の地元の町にいる木こりの息子みたいな感じで、勇者に憧れて、町の中をぷらぷらしてるっていうね。実家のガレージでひっそりとがんがん音出してるとか。見ていて“ガレージのバンド”っていう印象も持ったな。



圧倒的な空間を創り上げるピクシーズのパフォーマンスは、彼らが掛け値なしの“ライブのバンド”であることをまざまざと示してあまりある。05年には、再結成ツアーの最終着地として、ついに初来日公演を果たした。
青木:ピクシーズの音楽のエキセントリックな部分と、我々でも共感出来るような彼らが過ごしてる日常の部分には一見ギャップがあるように見えるんです。演奏してる姿なんか別人のようにむちゃくちゃかっこいいし。それが確かにこの映画のおもしろいところではあるんだけれども、本当は、そのギャップは決してギャップではなく、両方ともものすごく近いところにあるんですよね。彼らの音楽にもそれがダイレクトに反映されてると思うんです。
言葉にすると簡単なんですけど、実際に像として結びにくいところがあるんですよ。その両要素をそう簡単に結びつかせてくれないものがある。微妙なところにいるんですよ。だから、ピクシーズのよさを説明するのが難しいんです。つくづく不思議なバンドですよね。



田中:それで、この映画を観ながら頭の中で並べていた映画があるんです。ザ・バンドの解散ライブをスコセッシが撮った『LAST WALTS』なんだけど。


青木:
あぁ、なるほど。比べたらおもしろいかもしれないですね。そういや、フランク・ブラックの今年出たソロアルバム(『FAST MAN RAIDER MAN』)には、ザ・バンドのレヴォン・ヘルム(VO/Drm)がゲストで参加してるんですよ。



田中:
あっ、そうだったんだ!?それはほんとにアメリカンだなぁ(笑)。
で、ピクシーズに比べるとやっぱりザ・バンドの解散は幸福なんだよね。見事に融和的な解散劇という感じ。それで、僕が思うに、一連のザ・バンドの解散劇がその後登場するバンドたちに及ぼした影響は、かなり大きいと思うんですね。というのも、彼らが“バンド”というもののあり方をすべて示してしまったような気がする。解散を含めて。すべてやり切ってしまったと。あれはもうマックスに夢みたいな幸せな時期だったけど、その後の世代はもうそこに戻ることはできないわけ。絶対に。



青木:なるほどぉ・・・。

誠一さんが今言ったザ・バンドの“バンド”としてのあり方という言葉を聞いたときに、ピクシーズと引き合わせて考えたら、どこかしっくりきた気がしました。

どうも日本を含めて、ここ10年くらいのアメリカやイギリスの音楽を聞いてたら思うんですが、どうしても最終的にはピクシーズに帰着してしまうところがあるんですよ。オリジネイターとしてのピクシーズですね。このオリジネイターとしての要素があるから、今でもピクシーズに焦点が当たってくるんだと思います。今回ピクシーズを聞き直してて、音楽の形態とバンドの性質との関係が、ピクシーズ以前と以降とではどこか変わってしまったんじゃないかと思ってはいたんですが、その具体的な要因が分からなかったんですよね。とても掴みにくいところがあるんです。

ジョーイとデヴィッド。映画ではデヴィッドのある行為にジョーイが苦言を呈したりもする。一方で、ブラックとキムの間の軋轢(あつれき)は、解散以前よりファンの間でも有名なほど。このあたりを映画では決してあからさまに示すことはないが、こうした事態と向き合おうとつとめる彼らの姿は常に映し出されている。
だから、それを今回言葉にしようと思って、いろいろ考えてたんですが、ようやくしっくりする言葉が出てきました。ピクシーズの音楽は、いつもどこかが不足してたんですよ。不足している様子が音楽として生々しかったんです。何かが足りなかった。それは、ピクシーズの音楽がよくないということじゃなくて、あらかじめ何かが足りない環境でしかバンドを始めるしかなかったから、音楽にどうしてもそういう要素が表れてきてしまうんですよ。ここらへんがロックバンドとして生々しかったんだと思います。でも、その不足してる何かというのは、言葉としては出てこないんですけどね。ザ・バンドと対置して見るとはっきりと実感出来るものがあると思うんですが。


田中:そうだね。そう思うと、ピクシーズは必然的に満たされないところでしかバンドを始めることが出来なかった最初のバンドなのかもしれない。ていうか、それがいま現在の世界の在り様で、その見えない空気みたいなものをピクシーズは体現しているってとこまで言っちゃってもいいかもしれない。

ザ・バンドの示した豊かさって、いま誰もやろうと思ったってできないわけで、そういう過去にあこがれるのではなくて、いかに自分たちがいまいる現実を生きてるかってことを示すことの方が切実ですよね。この映画は確かにそういうものが描かれているということでしょうか。

…というわけで、みなさま、この映画、ピクシーズという唯一無二のバンドが体を張って体現しつくしているものを、劇場まで体験しに来て下さい!



青木:
それと、ぜひ各メンバーのソロ活動に目を向けてください!おもしろいですから!
(了)
2007.01.03 at UMEDA
INFORMATION

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