京都での公開も佳境に入り、じわじわと動員を伸ばしてきている『リンダ リンダ リンダ』。
しかし、どうも東京、大阪の勢いには及んでいない。なぜだ!?単に人口比率の問題ではなさそうだぞ!?

いくら京都人ははんなり動くと言ってもぼやぼやしていたら終わるものは終わってしまう!急げ!九条大宮に集え!…といきりたっても仕方がない。こうなったらわれわれは最終兵器を導入する。
京都っ子ならご存知、はやくから山下敦弘に注目していた映画評論家・ミルクマン斉藤氏を五条大橋のたもとでつかまえて、これでもか!と『リンダ リンダ リンダ』の魅力について語り明かしてまいりました。

映画も記事も、どちらもお楽しみください。京都みなみ会館は9月28日まで続映だ! 「もう観ちゃった」アナタも、もいっぺん観たくなる!



<田中> 『リンダ リンダ リンダ』、東京・大阪などでは大盛況みたいなんですが、京都はいまひとつみたいで…でも地方でもいっぱい人が入ってほしい!なんとかしなあかん!ということで、この公開真っ最中の時期ではありますが、ミルクマン斉藤さんにもご協力いただいてこの映画の魅力を語っていって、動員をかけていこうと思います。


<ミルクマン>ま、応援はしますよ、いくらでも(笑)。

<田中> (笑)。そして、京都の『リンダ リンダ リンダ』公開を担っているRCS(http://www.rcsmovie.co.jp/)佐藤さんにも加わっていただいて。

<佐藤>(ミルクマン氏に)でも、あれだけはっきりと言えるのはものすごい自信ですよ。

<ミルクマン>あぁ、今年ナンバーワンって?

<佐藤>スッと言えるのはね。

<ミルクマン>色々考えたけど、やっぱり一番かなぁ。

<田中>ミルクマンさんが『リンダ リンダ リンダ』で決定的に何か変わったっていうことをエルマガ(※関西の有力情報誌エルマガジンのこと)でおっしゃっていて、僕もそういう思いはあったので、今日はその「何か」のところを具体的に出していってしまおうと。

<ミルクマン>うーん、決定的にとまで書いた覚えはないんですが。ただ、“日本のカウリスマキ”みたいな言い方ね、あれ、たぶん僕が書いたのが広まっちゃったらしくて(笑)。たぶんビターズ・エンド(※『リンダ リンダ リンダ』制作、配給。それ以前の山下敦弘監督『ばかのハコ舟』『リアリズムの宿』の配給も手がけている。http://www.bitters.co.jp/)が―――

<田中>『ばかのハコ船』のときに「日本のカウリスマキ ?!もしくはジャームッシュ ?!」っていうようなかんじで使ってましたね。えらい括りようなんですけど。

<佐藤>あぁ。予告編にも使われた。

<ミルクマン>僕は『どんてん生活』の東京公開のときにもコメントを書いてるんですよ。最初はそのときだと思うけど。まんざら深い意味もなく書いた覚えがあります(笑)。要するにフィックスの長いショットが多くって、その中で笑いどころも掴んでいくという。シーンの構成の仕方が似てることは似てたよね。予定調和のビートを外したところ、オフビートなビート感という点で。まぁそれは間違いってわけではないでしょう。「日本の云々」というのはある種失礼な言い方ではあるけれど、とりあえず新しい作家をまだ見てない人にはとっつきやすいかと。ただ山下くんの方が笑えるけどね、カウリスマキより (笑)。

<田中>山下さん自身もそこまでみんなにカウリスマキって言われるのはちょっと戸惑うみたいなところがあったみたいですけどね。韓国に『ばかのハコ船』を持って行ったときには「稲中(卓球部。古谷実の90年代大ヒットギャグマンガ)を意識しているのか?」って言われたって。あー、そういうふうに見られるかっていう。
それで『リンダ リンダ リンダ』の話に戻ると、僕も5月に偶然早めに観られる機会があって、まだ誰も観ていないから前評判とかもないんですが、観たらば思わず泣いてしまったわけです(笑)。


<ミルクマン>泣くよねー。

<田中>だからこれはもういいかげん“日本のカウリスマキ”という称号を返上してもらって(笑)。



<田中>わけもなく涙があふれてくる映画なんだけども、だからなのか、『リンダ リンダ リンダ』ってどういうふうに言葉で言ったらいいのかというのが本当に難しい映画でもあります。


<ミルクマン>さっきの「決定的に変わった」というのとは矛盾しまくるけど、今までの山下映画と本質的にはさほど変わらないからなんだよ、おそらく。だからしゃべりにくい、書きにくい。『くりぃむレモン』も相当書きにくいけどね(笑)。

ただ、すでに自家薬籠中のものにしてしまったミニマルな映画の撮り方みたいなのを……いわゆる“どうしようもないヤツ路線”みたいなのから意識的に抜けてみようとしたのが『くりぃむレモン』だったと私は思うんです。その前の『リアリズムの宿』もすばらしい映画だけど、『ばかのハコ船』を撮れた人なら『リアリズムの宿』は当然撮れたと思うのね。ただ、『ばかのハコ船』から『くりぃむレモン』に行くのはなかなか簡単じゃないでしょう。


<田中>それまでの山下さんが『くりぃむレモン』みたいなダイレクトなネタではなくてギリギリの間というかハズシというものを題材にするような作家だったんで、『くりぃむレモン』はまさに禁断の兄妹愛でばっちりカラミもあるし、そういうものを撮ったっていうのは全然違いますよね。

<ミルクマン>しかも、ふたりが目を合わせないままにも感情線がはっきり目の前に見えるとかいった描写がすごく巧いわけですよ。それでちょっとビックリしたんですけどね。ある種の物語性が今までの作品よりはあるし。『リンダ リンダ リンダ』も登場人物の数だけ物語性は増してる、とは思うんだけど・・・。

<田中>ところが『リンダ リンダ リンダ』って物語としたら非常に単純で、物語というような物語なんてものは実はー

<ミルクマン>ないんですよね。普通の映画ならもっと劇的にやりそうな部分はぜんぶ崩してる。

<田中>最初の企画の段階では全然違う話だったっていうことなんですけど。

<ミルクマン>うん、たぶんそうやろね。

<田中>最初は韓国の留学生がボーカルになるっていうことではなくて、二組の女の子バンドがあって、それが最後に対決するっていう話だったという。

<ミルクマン・佐藤>(笑)

<佐藤>えらい違いやなー。

<田中>だから学園祭の激突モノみたいなものだったっていう。

<ミルクマン>じゃなくてよかったね。

<田中>ペ・ドゥナとか、ほかの役者さんなども決まっていって、実際の役者をはっきり想定しながらどんどん具体的なシュミレーションを重ねていく、という作業だったんじゃないかと思います。

でも、できあがった作品は、画面をひたすら見るっていうことに集中できた久しぶりの映画だったっていう感じがすごくありますね、日本映画だから云々ていうことはまったく関係なく。それでやっぱり『リンダ リンダ リンダ』で何かはっきりといま、映画でこれができる、ということが明確になった、ちょっとがっしりとつかまえられたようなところがあるんじゃないかっていうことを思うんです。


<ミルクマン>意識的にキャメラワークは変えようとしているのが冒頭からはっきりわかるじゃないですか?横移動を延々とやってみたり、結構疾走したりしてるしさ。だからシーンをひとつひとつ指摘すると新機軸はあるんだけど、つなげて見るとそれもひとつのゆったりしたリズムの中に入ってるんだよね。決して急かない、決して何かを主張しようということもない、そのシーンを突出させようというものもなく・・・。山下くんの映画ってわりと均質的なんですよね、それはミニマルっていう言い方もできるんやろうけども、そういうリズムはやはり残っていて、今までと一緒なんですよ。だから細部が違う、と。・・・あの告白のシーンとか拾ってみても、各エピソードの物語性は増してるし、充実してるのよ。

ただ山下映画というのは、物語の中に没入するということはほとんどないのであって、むしろどれだけ対象から引いているかっていうことの面白さなんだよね。キャメラワークとかも含め、決して肉迫しない。観客もその距離感にこそ同調し、楽しむというような。


<田中>山下敦弘っていう人は距離感というものに関する嗅覚は絶妙だなっていうふうに思うんです。それがこの人の持っている最大の才能なんじゃないか。

<ミルクマン>うんうん。あまりいないんですよ、そういう撮り方をしてサマになる人っていう人。ただ『リンダ リンダ リンダ』の場合、独特の距離感は徹底的にあるんだけど、登場人物への感情移入という俗な言い方をするならば、今までのものよりは入りやすくなってるはずなんですよ、間違いなく。だから『ばかのハコ船』みたいに、観ている方も終始突き放して見るっていうのは絶対ないと思う(笑)。というか、突き放しては見ていられないのが『リンダ リンダ リンダ』なんだよね。

<田中>それはそうですね。『くりぃむレモン』からやっぱり意識が変わってると思うんですけれども、それまでは山下敦弘という人が自分の共感できる世界をやってた。身体感覚として「こんな感じ」ってわかる世界。ところが、兄妹のセックス、女子高生の軽音楽部って、まったくわからないですよね。そういう異世界設定のリアルな内容のものをやらなきゃいけない、というのは、実は大阪にいた山下さんが東京に出たというのも大きいんじゃないかと思うんですが(笑)。

<ミルクマン>はっきりと、彼はプロになろうとしたんだと思う。東京云々というよりはね。

<田中>そうですね。そういう意識があるからこそだとは思うんですけど。でもただ『くりぃむレモン』は「兄妹」という設定を「男女」に収斂させていっているので、後半が強引な力技になってると思うんです。撮影もすばらしいですし、兄妹ふたりがつかず離れずまではいいんですけど。やっぱりカラミとか撮るところになると物陰に隠れて即物的な感があって、そういうところはどこか「こうしかできん」という・・・

<ミルクマン>好きだけどね、俺。とても好きだけどね、あの撮り方。

<田中>はい、それはもう距離感で撮っているのを感じる面白さなんですよね。ところが今回の『リンダ リンダ リンダ』はだんだん徐々に何にもこだわらなくてもよくなっていって、自然と画面に入っていってしまうような感じなんですよね。これだけ自然な感じで見られるような映画を撮れるんだっていうのをものすごく驚きとして感じますね。

<ミルクマン>『ほえる犬は噛まない』のポン・ジュノが、山下くんの映画をすごい好きらしいのよ。ペ・ドゥナもポンちゃんに「出ろ」って薦められたらしいけど、物語との距離感という意味ではこの二人、ある種似ているところはあるね。でも今後の山下監督が、たとえばポンちゃんの『殺人の追憶』みたいにドラマティックな、強烈な題材をやるのかどうか知んないけどもさ。

<佐藤>何でもやれそうですけどね。

<ミルクマン>何でもやりそうな気がすんねん。何でもやったらいいと思うねん。

<田中>何の映画でもなくて「映画」っていうふうにしか言いようがないのが『リンダ リンダ リンダ』なのかなと感じてます。映画であるということだけにすべてを賭けている透明さみたいなものが今回とてもいいんですよね。

<ミルクマン>「映画」としか言いようのないシーンだけつないでいるような気がするのよ。

<田中>そういう意味では佐藤さんが相米慎二を見るような感じで観てくれっていうふうにおっしゃってたのはいい比較対象だなと思いますよ。でも相米慎二は文学や演劇に食い込もうとしている。映画になんとか導入しようとする相米慎二の心意気みたいなものが確実に画面に出てきていて、そういうコンプレックスみたいなものが山下さんってまったくないですよね、世代的なものかもしれないですけど。コンプレックスじゃなくてできてるというか、「知らない、関係ない」という。こういう時代が来たんだっていうことかぁ、と感じてます。

<ミルクマン>相米さんは格闘してたんですよ。あの当時の先鋭的な表現者のなかで揉まれて、映画をやるんだったらどういうことができるかとか、他の表現と違うところは何かといつも考え、かなり戦略的に挑発的にやってたんだと思う。山下監督はそういうことはないから、これみよがしな部分はよりいっそう減ると思うな。説明だけの部分とか撮らへんようになってくるんちゃうかな。それでいいと思うんですよ。まず役者がいて……いや役者なんてのもいなくていいから、全体的な空気感がそこにないと映画じゃないというね。人物のアップをサーヴィスしたり、立派な台詞で物語を綴ろうという意識は彼にはないと思う。そんなのたいして面白くないと思ってる類の人間じゃないかな。

<佐藤>俺が相米慎二が引き合いに出すのは単に『台風クラブ』であって、その20年前の『台風クラブ』をやっちゃったよ、また05年の今にっていうのはすごい感じてる。

<ミルクマン>そう、『台風クラブ』を思わせるシーンはいっぱいあるよね。

<佐藤>そうそう、かなりそれがあって。でもそういうスピリッツもいっぱい入ってるんだけど。だから―

<田中>でも『台風クラブ』ともまた違いますよねー。

<ミルクマン・佐藤>いや違うよ、そりゃもちろん!

<田中>・・・は、はい(汗)。



<田中>『リンダ リンダ リンダ』を違う側面で見てみるとと、たとえば『リアリズムの宿』までは絶対どこかしらに自分が出てるんですよね、山下監督。で、『くりぃむレモン』以降は自分は出ないって決めたと。


<ミルクマン>人の映画には出るけどね(笑)。

<田中>実際自分も出演しないし、自分が投影できるキャラクターなんかをどんどん薄くしていっているんですよ。それで『リンダ リンダ リンダ』って山下敦弘の影っていうのがまった くなかった、登場人物の中にはまったくないんですよ。一番最初に学園祭のビデオをつくっている高校生二人が出てくるんだけども、出てきた瞬間は、「あ、これは投影の対象かな」とも思うんですが、観ていくとそれも山下敦弘や山下さんとこれまでずっと一緒にやってきたメンバーなどが重なってこなくなる。不思議に彼らもスーッとその映画の中の空気にまぎれていってしまうような。

<ミルクマン>あれは戯画でしょ?間違いなく。

<田中>戯画なんでしょうけど、作者が落ち着ける場所を映画の中にもう設定しなくていいというふうに、どこかの時点で山下敦弘は見極めたんだと受け取れたんです。もうそれはやらないっていうふうに決めたっていうのはさっきミルクマンさんがおっしゃったプロになろうとしたことの一つの表れだと思うんですよね。

<ミルクマン>映画の中に自分を投影する要素なんて何ひとつなくたって、自分らしさを刻印できるっていうのがプロだからね(笑)。あまり投影させようとなんかするといやらしくなるだけでしょ。だから弁解じみたものがまったくないのがいいよね、『リンダ リンダ リンダ』は。即物的って言えば即物的なんだよ、一つ一つの台詞にも、もってまわったものがまったくないし。夢のシーンなんてそりゃもう即物的だからね、笑っちゃうほど(笑)。

<田中>夢のシーン、どこから入ってるのかが分からない人もいるんじゃないかな。でもさらっとやる、というね。

<ミルクマン>即物的、っていうのは甘さが少ないというのとも結びつくわけで。バンドの練習してるショットが、常に引いてるところがいいよねぇ。「一生懸命練習してますよ」という時間をキャメラは一切撮ろうとしない(笑)。なんなら部室のドアの外から撮っちゃってるとか、耳掻きしてるのを延々撮ってるとか、朝の雲を撮ったりですね、ああいうところが美しいし、青春らしいものを一番感じたりもする。だいたいコレ、ノスタルジーを感じる青春映画じゃないと思わへん?

<田中>本当にそうだと思いますね。ノスタルジーじゃなくてブルーハーツ世代とか自分たちの学園祭のときの思い出とリンクするとかでじゃないんですよね。

<ミルクマン>うん。おまけにブルーハーツ嫌いやし、俺!(笑)ブルーハーツ全っ然好きじゃないし。

<田中>それ、いいですね(笑)。それでも『リンダ リンダ リンダ』が一番っていうのがすばらしい(笑)。

<ミルクマン>そうですよ。だって松本隆さんがこの映画について「ブルーハーツに嫉妬した」って言ってるでしょ。松本隆さんが好きなわけないからさ、ブルーハーツ(笑)。ただ、ペ・ドゥナがヘッドフォンで「リンダリンダ」聞かされてる時に泣いてたりするシーンとかさ、あれは何となく判る。やっぱりブルーハーツって、ヒロトの声とロックとしての音圧は凄かったりするわけですよ。それは当時でもちょっと認めてたのよ。オリジナル・パンクにかろうじて間に合った世代としては、「この歌詞、何じゃい!」とは思ったけど(笑)。でも後々の糞ビートパンク連中とはレヴェルが違うと思うのよね。確かにブルーハーツの持つストレートな良さは、一番最後のライヴシーンにしっかり出ていると思う。おそろしく素っ気ない撮り方だけど、やっぱり燃えちゃうじゃないですか(笑)。出演者の熱度も演出のたくらみも勿論あるんだけど、音の威力を否定はしたくなくなっちゃう。……それにしてもさぁ、ライヴをあんな遠くから撮る手はないよね、普通(笑)。あれすごいよね。ビックリするよね。それであれだけの興奮があるっていうのは。豪雨のシーンとカットバックしたりしてさ。は別のところで「映画の神が降りている」なんて書いちゃったけど(笑)。

<佐藤>でも、そういう興奮があるから山下映画であるってことですよね。投影する影ってのは主人公には持ってないけど画面すべてに降臨しているわけで、そこに感じるでしょ?何よりも(ストーリーの)骨格が最初からだいぶ変わってるということで格闘がかなりあったわけよね。『くりぃむレモン』にしてもいろいろ大変だったって聞くし。だからもうすごい修羅場をくぐってきてるのよね、山下監督も。
とにかく『くりぃむレモン』でものすごい秀作をやってしまったというか、ものすごくやりきってしまって、もうワンステージ次に行けるスタイルが彼の中に出来上がっちゃった。それで『リンダ リンダ リンダ』があるわけでしょう。『リンダ リンダ リンダ』なんてもっとすごいプロデューサーミックスを持ってるプロデューサーが集まって、最初はそんなバンドバトルの話だったとは俺も知らなかったけど、そんな映画をここまで・・・




<田中>それで山下敦弘が『リンダ リンダ リンダ』の中でどこにいるんだろうか?っていうのは僕はやっぱり登場人物の中にはいないけども、さっき佐藤さんが画面の端々に全部山下印っていうのがあるんだって言ってましたけど、山下さんは「場所」になろうとしたんじゃないかというふうに僕は思って。人じゃなくてその空気、その現場、その映画の世界の空気を作る、映画っていう空間そのものになるということにすべてを賭けていたんじゃないかと。


<ミルクマン>いや、たぶん同じことを言うてると思う。

<田中>あ、そうですか?(笑)。いや、僕はそう思ったのは、とにかく映っているあの高校の校舎がすごいいいんですよ。学校の校舎のいろんな場所を切り取っていて。

<佐藤>なんかわりと学校に惚れてるよね?

<田中>で、また学園祭っていう雰囲気があるんで、いつもの日常の学校じゃない、いつもだったら見られないようなぽっかり空いた空間を狙ってるみたいなカットがいっぱいあって、けっこう人物なしの「場所」のショットがところどころに組み立てられている。

<ミルクマン>あんまりちゃんと学園祭を撮ってへんしね。ほんとにこの映画ね(笑)。

<田中>むしろ学園祭でにぎわってる反対側にできてるぽっかりした空間を狙ってる。それがやっぱり目線なんですよ、何ものかの。それで、「あ、そうかこれか」と気がついて。だから、この映画にとってはあそこの前橋工業高校をまるごと使えたってことはものすごく大きなことだったと思います。この映画の主役のひとりだと思いますから。

<ミルクマン>練習スタジオの空気もちゃんと撮れてるんですよ。僕も元々バンドやってたから言うんだけど。

<田中>スタジオっていうのは学校の外にある?

<ミルクマン>そう、外のスタジオ。部室のほうも巧いんやけど。ノスタルジーじゃなくって、あらかじめ「青春の記憶」そのもののような場所なんだよね。だから練習してるところを撮らずに、練習し疲れて寝てるところを撮ってるわけですよ。練習終わって歩いて帰るところとか、夜中に屋上でお菓子食べていきなりセンチメンタルになったりする時間とかを撮ってるわけです。それは一つの充実だったりするのよね。紛れもなく青春の、ね。

<佐藤>さっき言ったアップがないというのにもつながるんやけど、山下監督自身がズームのついてないものすごくいいフレーム構成のできる視覚を持ってるということ。それを画面に残せる作業ができる人。自分が持ってるすごくいいシャッターを目で切って、その場面を「よし、再現してやろう」として作ってる、そんな感じかな。だからずっとロングばっかり、遠くから自分が見た目をそのまま撮ってる、と。



<田中>映画を好きだとかいっぱい観てるぞとかいう人だけじゃなくて、分け隔てなくどんな人でも見てほしいっていう欲望がわく映画なんですよね。そういうときにじゃあどういう言葉があるんだろうかっていうところが最終的に僕が悩んでいるところで。


<ミルクマン>そりゃあ難しいよ (笑)。ドラマはあるけど、見た目展開しないんだもん。本当に三日間ってぐらいの時間のまとまりがあるだけやんか。それは4人が頑張ってるところを全然映してないからなんやけど(笑)。このあいだ『チーム★アメリカ/ワールドポリス』でおちょくられてたみたいな、「こんなに短期間で楽器が巧くなりました」ってな点景をブルーハーツ一曲の中にモンタージュするような、そんなクリシェ的表現があればまだしもね。頑張って疲れた後の空気を感じろ、って類の映画なんで。ま、『くりぃむレモン』にしてもさんざヤり疲れた後を撮ったような映画やったけど(笑)。……それはともかく、一人一人に明確な見せ場があるわけでもないでしょ?「4人ともみんなよかったね」っていうような。ペ・ドゥナが出てるからって彼女だけが目立ってるわけでもないのよ、はっきり言って。4人の中の一人に過ぎない気がしない?これはすばらしいと思うのよね。普通、ペ・ドゥナ目立たせるよ。キャラも飛び抜けて違うんやしさ。

<田中>いやまあ、前半はめちゃくちゃ異質な存在ですよね。圧倒的に背が高いし、制服似合ってないし(笑)。それは人物設定そのままに異質な存在というように映っているということなんですが、でもどんどんそうじゃなくなっていく。これも設定とか話の流れというだけじゃなくて、それは現場でもそういうふうにいい雰囲気になっていったんだっていうことがものすごく判って、主役の4人だけじゃなくて、出てる人みんないいじゃないですかこの映画。みんないい。湯川潮音も山崎優子も。みんなにココっていうシーンをつくってますよね。それは幸せだなーっていう感じが見えてくるんですよね。

<佐藤>だから映画のドラマとともに映画が成長していってる映画だなって思う。すごいな、 と。最初はすごいなっていうよりも、こちらもソワソワして観ていたものが一緒に監督もノリノリになってきてるのが本当に判るからね。最初は監督も石橋を叩いてるって雰囲気がまだあったから。「こんな導入でこんなスタート。え?どうするんやろう?」ってこっちもドキドキして。

<ミルクマン>そうそう、それはあるよね。ちょっとハッタリしてはんのやと思う。どんどん落ち着くようになっていって、急いた気持ちが浮き立たないように全体のリズムを整えていってる。
それに、『リンダ リンダ リンダ』で60か70いくつのおじいさんがアンケートに「よかった」って書くんだから(笑)、全然わかるんやと思う。


<佐藤>いや、何がすごいって劇場に年配の人がやたら多く来てるんで、そのあたりの評判はいいんだよ。
この間、扇町ミュージアムスクエアの元支配人の坂本さんが小学生の娘2人と中学生のいとこの3人で観に来てね。劇場の受付でも「えらい若い子が来た」と。それでみんな大喜びやってね。連れて来た坂本さんは「なんかシールやら何やらキャーキャー言うてキャラクターの話して、もう俺置いてけぼりだよ。5人でぎゃーぎゃー言うて物グッズ買って帰ったんだよ」みたいな感じで、子供がすごい大喜びやったんですよ。だからそれがうれしかってね。連れて来た大人は疲れてたけど(笑)。今回ホントに若い人が見に来てくれないって悩みがあったけど「やっぱ通じてるやん、ちゃんと」と確かに感じましたよ。


<ミルクマン>なんか東京もそうらしいね。若い子が少ないらしいな。なんでやろな?

<田中>それをどうにかしたいんですよねー。

<佐藤>でも実際キャーキャー言ってるの見たら「あーやっぱりOKやん!」と思って。だからどう口コミで伝えるか。やっぱり満足度は広がるでしょう、時間をかければ。

<田中>時間がかかるっていうことですよね・・・。そういうことも考えて、みなみ会館でも9月までずっと長いことスケジュールを組んでますよね。夏の稼ぎ時シーズンにじっと待って耐えることを強いられるのはめちゃ大変ですが、やっぱりそうしないといけないと。もうここまで上映側も賭けてるんだから、ホントに九条まで来てほしいですね!台風シーズンまでひっぱってますので!




<田中>ということで、これでなんとか『リンダ リンダ リンダ』の魅力をより具体的に出せたんではないかと思いますけど。


<ミルクマン>なんじゃそりゃ(笑)。

<田中>いや(笑)、でも、今ここで話してきたことすらあんまり出てきてない気がするんですよね。ちゃんとメディアとかで。だってここ(宣材のフリーペーパーでの有名人のコメント)ですら「懐かしい」とかいうコメントが出てきちゃうわけですから!


<ミルクマン>あー、ぜんぜん懐かしくないよなぁ(笑)。

<田中>まあそういうふうにも観れるというキャパシティもあるということですかね。ノスタルジーっていうことは、もうスクリーンからとてつもなく離れていっちゃって自分の内面に収斂してしまうことなんで、ノスタルジーを感じた人はもう一回観ると印象がガラッと変わるのかもしれません。やっぱり今の目で見てもらいたいですけどね。

<佐藤>そうね。小学生と中学生が興奮したってことがノスタルジーではないっていう証明をしてるわけで。そういう無垢な目で観たときの何が面白かったかっていうのを掬ってあげたらいいんやろな。

<田中>花田清輝が『新編・映画的思考』の中で「私たちを視覚そのもの聴覚そのものにしてくれる映画こそがいい映画だ」って言ってるんですけど、そうなんだよ!って。実際『リンダ リンダ リンダ』はまさしくそういう映画だっていう感じですよね。目そのもの耳そのものになれる。

<ミルクマン>ま、でもある意味「青春」なんて、いずれ今の時間はノスタルジーになるっていうことを自覚的にやってるもんなんだから。俺なんて、どこかそうだったし。ちゃんと台詞にもあるじゃない。「こうやってるときがさぁ」とかさ。何年かたったらこの瞬間はノスタルジーになるっていうことくらい、皆わかってるのよ。それをあの一言で済ましちゃってるよね。えらいと思う。こっちも見てて凄く感心した。

<田中>そうですね。映画の中で実はいろんなことを意識的に言っちゃってるところがけっこうあって、そういうところでハッとしますね。ペ・ドゥナが泣くところもブルーハーツのエッセンスがガツンと来たときのことがわかりやすく表現されてる、と同時にこの映画自体を観て泣いているわれわれが実はそこにいるという。


<ミルクマン>最後、ずーっと寝てるのがいいね。

<田中>あの展開もね(笑)。

<ミルクマン>あれ、大したもんだよ。

<田中>ちょっとありえないですね。

<ミルクマン>あれだけ寝させるっていうのは。寝顔撮るやん、普通。

<田中>だからこの映画は非常に透明な在り様だと思って、本来的でありながらとても現代的だなというふうに感じています。




<ミルクマン>あ、James Iha(サントラ担当)は上手いんだ、これ実は。決して熱くなんないから。


<佐藤>改めてサントラだけ別に聴いたときに「あ!このリズムが!このリズムがこの映画を馴らしていったんやなぁ」っていうのをすごく感じたね。やっぱりサントラの成功はおっきいやろうね。

<ミルクマン>メロディーとかそんなになくて、控えめに、音色とかリズムだけで拍動を推進させる。それはやっぱりうまいなぁっていうか、よくオーダーしたなぁって(笑)。

<田中>映画ってそれこそ第七芸術っていうぐらいにいろんな要素、例えば音楽であったり物語であったり、最新のテクノロジーであったりさまざまな要素をその中に導入していって、映画の中にぶち込んでいくっていうような面白さはあるんだけども、反面、厳密な制約が絶対的にあって、むしろ映画でしか出せないものというのはある種のストイックさから見えてくるようなことがあると思うんですね。山下映画で言えば『ばかのハコ船』なんかはまだネタを数撃ってぶち込んでいるんですけど、『リンダ リンダ リンダ』はそういうところがなく、脱色されてる。だから後者の意味で映画的なんですね。

<ミルクマン>そうね、そういうところが面白い。僕なんかは映画ってもともと削ぎ落としていくしかない表現だと思うからね。演劇的とか文学的にしかものを考えられない映画っていうのはやっぱり映画じゃない。演劇であってはいけない、文学であってはいけない、っていうふうに意識しないと映画表現の独自性なんて獲得できないと思うんですよ。ま、ウェルメイドでクリシェだらけの映画も好きやけどさ(笑)。

<田中>映画でしかこれはできないだろうと。山下敦弘っていう人はまだ二十代。あと数年のうちにおそらく何本か撮るんだろうっていうことで、二十代でこういう作品を撮る人が出てきたっていうことは「今、これを見逃しちゃいかんぞ!」っていうふうに声を大にして言わなきゃいけないと僕は思いますんで。そういう意味では騙されたと思ってくれてもかまわんから見に来てくれ、と。だましてないんですけど。

<ミルクマン>さっき挑戦的なこと言ったけど、プロフェッショナルになるならエンターテインメント性が必要だというのも確かなんですよね。なんせ映画というものは運命的に観客が必要なわけだし。でも山下敦弘のエンタテイナーの資質はこれで証明されたようなもんだよね。どんな題材を撮っても作品の空気そのものとして存在できる映画作家。それがスタイルってもんだし、山下くん、そういう作家になっちゃいましたね。だから『リンダ リンダ リンダ』を観終わって最初に感じたのは「あー、やっぱりすごいとこまで来てしまったな」と。「またちょっとずば抜けてしまったなぁ」と思ってね。

<田中>ほんとうに。ようやくはっきりと『リンダ リンダ リンダ』の魅力を出すことができたんではないかと思います。まだまだ語っていないこともありますが、これから映画を観るお客さんのお楽しみということで。
今日はお二人とも、お疲れのところ夜明けまで本当にありがとうございます。

採録:田中裕子 構成:田中誠一 協力:RCS、佐藤英明、ミルクマン斉藤(8月14日未明 五条河原町にて)

★★今年(夏だけじゃなく)最高の映画『リンダ リンダ リンダ』、京都みなみ会館にて9月28日まで続映中!マジで見逃すな!★★

ミルクマン斉藤(写真左)
63年京都生まれ。映画評論家。グラフィック・デザイン集団groovisionsの、唯一デザインしないメンバー。“元祖”VJとして「ピチカート・ファイヴ」のステージ・ヴィジュアルを8年間手掛ける。執筆活動の他、全国各地でトーク・ショウもこなすピンク・スーツの怪人。

グルーヴィジョンズウェブサイト→http://www.groovisions.com/


佐藤英明(写真右)
映画上映会社「RCS」代表。京都を拠点に、京阪神の映画館やホールで企画上映を行なう。特に京都みなみ会館と滋賀会館シネマホールでの個性的なプログラムは注目を集め、東京・「映画美学校」シネマ・マネジメント・ワークショップ講師も務める。KBS京都ラジオ「週間シネマMAX」映画コメンテーター。

RCSウェブサイト→http://www.rcsmovie.co.jp/