ジャン=マリ・ストローブとダニエル・ユイレは、自分たちほど「ヨーロッパ人」のシネアストはいないとよく言っています。二人はどちらも一九三〇年代にフランスに生まれ、一九五八年にともにドイツのミュンヘンに居を移し、その後さらに、一九六〇年代末、イタリアのローマに移り住みました。ローマに拠点を移してからは、パリにもアパートをもっていたようです。
作品そのものについても「ヨーロッパ的な」広がりがあると言えるかもしれません。2006年10月9日にダニエル・ユイレが亡くなってしまいました。彼女が亡くなるまでに発表された27作品のうちには、ドイツ語で撮られたもの、イタリア語で撮られたもの、フランス語で撮られたものがほぼ同数ずつあります。
また、とりわけイタリアで撮影された作品に関しては、ローマを舞台にしながらフランス語で撮られた『オトン』(原作はコルネーユ)、同じくローマを舞台にしながらドイツ語で撮られた『歴史の授業』(原作はブレヒト)、あるいはまた、シチリア島を舞台にしながらドイツ語で撮られたいわゆるヘルダーリン三部作(『エンペドクレスの死』『黒い罠』『アンティゴネー』)など、イタリアで撮影されたからといってイタリア語が話されているわけではないような作品もあります。
ローマの風景のただなかでフランス語やドイツ語が発せられること、シチリア島の風景のただなかでドイツ語が発せられること。あるいはまた、フランスのロレーヌ地方の風景のただなかで「ロートリンゲン(Lothringen)」というそのドイツ語名が想起されること。こうしたことは、ストローブ=ユイレ映画のもつ「ヨーロッパ的な」広がりをいっそう強く私たちに印象づけるものです。
ストローブ=ユイレは映画作りを通じて「ヨーロッパ人になる」。このことは、ストローブ=ユイレ映画を観る上で意識しておくべき、ひとつの重要なポイントです。というのも、ストローブ=ユイレは、「ヨーロッパ現代」に対するひとつの明確な歴史的ヴィジョンに立脚したかたちで、映画を撮り続けてきた作家だからです。
ストローブ=ユイレは『放蕩息子の帰還/辱められた人々』が公開された際のあるインタヴューで、およそ次のように彼らの歴史観を語っています。
第二次大戦直後の3年間、ヨーロッパは大きな政治的希望に満ちあふれていた。例えばイタリアでは、まさにこの時期に、借地借家人保護法(1948年に制定)や反トラスト法(独占禁止法)などの、いわば「資本のロジックに抵抗する」一連の法律が制定されたりした。ところが、1948年頃からアメリカ合衆国で始まったマッカーシー主義に対応するかたちで、ヨーロッパ諸国でもほぼ同時に反共政策が始まり、例えば西ドイツでは1956年にドイツ共産党(KPD)の活動が違憲とされて禁止措置がとられる。そして、各国レヴェルでのこうした動きと同時にまた、大陸レヴェルでも、1949年にアメリカ合衆国との反共軍事同盟であるNATO(北大西洋条約機構)が組織されたり、1950年代前半にはフランスの提案で「欧州防衛共同体」なるものが企図されたりもした……。そして、1961年、ベルリンの壁が築かれる。
ストローブ=ユイレは「共産党活動が地上の楽園であるとか、地球の救済であると言うつもりはない」としながらも、それが「ひとつの抵抗ではあった」と言っています。つまりストローブ=ユイレは、第二次大戦直後のヨーロッパにせっかく芽吹いた「大きな政治的な希望」、資本のロジックに抗う「抵抗」の萌芽が、わずか3年で摘み取られ始めてしまったと考えているのです。ストローブ=ユイレは次のように言います。
| アメリカ人が私たちに対してやったことは、ペタン元帥やナチから私たちを解放したということだけではありません。彼らは、マーシャル・プランを通じて私たちを植民地に変えてしまいもしたのです。 |
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つまりヨーロッパがアメリカ帝国主義によって植民地化され、資本主義に抗う「抵抗」すなわち「希望」が片っ端から摘み取られ始めたということ。マーシャル・プランの導入とともに1948年前後におきたこのような出来事を、ストローブ=ユイレは「今日にまで続く破局(catastrophe)の始まり」とみなしているのです(西ヨーロッパ諸国によるマーシャル・プランの受け入れは1947年7月)。
ストローブ=ユイレからすれば、1989年に起きたベルリンの壁の崩壊も、1948年前後にその「始まり」が同定される「今日にまで続く破局」の内部での出来事に過ぎません。ストローブ=ユイレは次のように言っています。
| いまや世界全体がアメリカ人たちによって植民地化されつつあります。というのも、アメリカ人たちは、ベルリンの壁それ自体やその背後に存在していたものという、唯一残されていた抵抗も、取り除いてしまったのですから。
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ただし、ここでストローブ=ユイレが「ベルリンの壁の背後に存在していたもの」と呼んでいるのは、必ずしも社会主義体制そのもののことではありません。この点には注意が必要です。ストローブ=ユイレが「ベルリンの壁の背後に存在していたもの」と呼んでいるのは、むしろ社会主義体制によって幾度となく企てられた集団農場化にもかかわらず、これにしぶとく抵抗し続け、自律的な農村共同体システムを維持してきたことで有名な「ポーランドの農民階級」などによる「抵抗」のことです。
ポーランドでは、第二次大戦直後に共産党政権によって「農地改革」が行われ、貧しい農民たちはこれに基づいてそれぞれ小規模な農地を得て、共同体単位での自律的な生産消費システムを築いていくことになります。しかし、その後、1950年代に入ると、近隣諸国に倣って方針転換した政府によってそうした小規模農地の集団農場化が試みられることになります。政府によるそうした企てに対して、農民階級は大規模な闘争を組織して抵抗し、1950年代末にはついに、農民による小規模農地の所有を国家に容認させるまでに至るのです。
ストローブ=ユイレによっての「ベルリンの壁の背後に存在していたもの」とは、例えば、ポーランド農民階級によるこのような「抵抗」のことなのです。ストローブ=ユイレは次のように述べています。
| スターリン主義ほど最悪なものは世界にありません。しかしスターリン主義は、それでもなお、ポーランドにおけるささやかな農民階級の存続を許してきたのです。[ベルリンの壁の崩壊とともに]東欧諸国が解放された後に残された、農民階級に対する最後の破壊略奪行為は、こうしたささやかなポーランド農民階級を根こそぎ一掃することに存しているのです。
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要するにこういうことです。第二次大戦直後の3年間、ヨーロッパは「政治的な希望」に満ちあふれていた。しかし、その後、西ヨーロッパは、アメリカ帝国主義によって植民地化され、資本主義に対する「抵抗」の萌芽が片っ端から摘み取られ始めてしまう。そうしたなかで、マーシャル・プランの受け入れを拒否したソ連・東欧諸国のブロック形成は、結果として、ポーランド農民階級による自律的共同体の構築といった「抵抗」にとって、資本主義の猛威から身を守るための防波堤となり、そうした「抵抗」をしぶとく生き存えさせることに役立った。しかし、ベルリンの壁の崩壊によって、市場経済の大波に抗うそうした最後の「抵抗」も風前の灯になってしまっている。自分たちは、そのような「ヨーロッパ現代」のただなかで映画を作っているのだ。自分たちは、1948年前後に始まりいまもなお終わる様子など微塵もないそのような「破局」のプロセスのただなかで映画を作っているのだ……。
ストローブ=ユイレはそう考えているのです。

今回のプログラムには、エリオ・ヴィットリーニ(Elio
Vittorini)が第二次大戦終結直後に書いた小説『メッシーナの女たち(Le
Donne di Messina)』(一冊にまとめられて刊行されたのは1949年)を原作とした2つの作品が含まれています。『労働者たち、農民たち』と『放蕩息子の帰還/辱められた人々』の2作品です(あるいは『放蕩息子の帰還/辱められた人々』を二部作だとみなせば、むしろ3作品)。この2作品は、これまでに説明してきたような「ヨーロッパ現代」についてのストローブ=ユイレの歴史的ヴィジョンがこの上なくはっきりと示されている作品です。
『労働者たち、農民たち』は、これまでに述べた終戦直後の3年間、つまりヨーロッパが政治的希望に満ちていたとストローブ=ユイレによってみなされる3年間に対応しています。これに対して、その続編と言える『放蕩息子の帰還/辱められた人々』は、ストローブ=ユイレが「今日にまで続く破局の始まり」を同定する時期、すなわちヨーロッパがマーシャル・プランによって資本のロジックに飼い馴らされ始める時期に対応しています。
希望と喜びとに満ちたバッハのカンタータとともに始まる『労働者たち、農民たち』では、まさに「ポーランド農民階級」のそれのような自律的な生産消費共同体の構築を通じた「抵抗」すなわち「希望」が問題とされています。これに対して、ほとんど黙示録的とも言えるヴァレーズ(Edgar
Varese)の現代音楽とともに始まる『放蕩息子の帰還/辱められた人々』では、「希望」のもとで構築されつつあった自律的な生産消費共同体が、まず「カネ」の論理にさらされ(「放蕩息子の帰還」)、次いで「土地台帳」すなわち私有財産制のロジック、そして「経済効率」のロジックにさらされ(「辱められた人々」)、最終的には崩壊の危機を迎えることになってしまいます。
要するに『労働者たち、農民たち』は政治的な希望に満ちたヨーロッパを、『放蕩息子の帰還/辱められた人々』はそうした戦後ヨーロッパが早々に迎えることになった「破局の始まり」を、それぞれ語ろうとする作品だということです。
ただし、そうとは言え、『労働者たち、農民たち』と『放蕩息子の帰還/辱められた人々』の2作品においてですら、先に述べたような「ヨーロッパ現代」に対するストローブ=ユイレの歴史的ヴィジョンが大上段から直接的に語られるということはけっしてありません。これは、彼らがブレヒト的なリアリズムの教えに忠実だからです。すなわち「あくまでも個別的なものから出発して一般的なものへと向かうこと」という教え。『労働者たち、農民たち』においても『放蕩息子の帰還/辱められた人々』においても、作品によって直接的に示されるのはあくまでも、ひとつの「限定された極めて個別的な状況」であり、私たち観客はそうした「個別的な状況」のただなかに「今日にまで続く破局」の萌芽を見出すように促されるのです。
しかし、そもそも、ストローブ=ユイレが「個別的な状況」と呼んでいるのはどのような状況のことなのでしょうか。
『労働者たち、農民たち』や『放蕩息子の帰還/辱められた人々』は、いままでぼくが話してきたことからすれば、1945年から1948年までの或る特定の日にイタリアの或る特定の集落で起きた出来事を描くものだと言うことができるように思うかもしれません。しかし、実際に作品を観てみると、そのようなはっきりとした時代設定など、まったくなされていないことに気が付きます。
また、物語の舞台がイタリアかどうかですらかなりあやしいものです。というのも、先にも述べた通り、ストローブ=ユイレの映画においては、ある言語が話されていたからといって、実際にその言語を「国語」とする国が舞台になっているとは限らないからです(実際の撮影は主としてハンブルクのスタジオで行われたものの、物語上はアメリカ合衆国を舞台にしながらドイツ語で撮られた『アメリカ(階級関係)』(原作はカフカ)のことも思い出してみてください)。
作品そのものから私たちが受ける印象は、むしろ、いつの時代の物語なのか、どこを舞台にした物語なのか、いっさい判然としないという印象だと思います。例えば俳優たちのラフな服装は、実生活での彼らの普段着であるかのようにも見え、必ずしも何らかの時代設定に従って選択されたものではないように思えます。舞台となっている森も必ずしも特別な地理的特徴のあるものだとは言えません。時代も場所も判然としないというこの印象をもっとポジティヴな表現で言い直せば、そこではひたすら「奇異な」空間が広がり、「奇異な」時間が流れているという印象、しかし同時にまた、この「奇異な」時間=空間が、それでもなお、私たち自身の暮らしている「この世界」に確かに属しているという強い印象、そのような印象だと思います。
ストローブ=ユイレが「個別的な状況」と呼んでいるものは、したがって、地理的=歴史的に特定され得るような状況のことではなく、何よりもまず、それぞれの作品ごとに構築される時間=空間のこの「奇異さ」「strangeness」のことなのです。ストローブ=ユイレはこうした「奇異さ」について次のように述べています。
| 例えばリーヴァイスのジーンズ工場で解雇に反対してストライキを起こした女工たちについての作品といったような、世間によって高く評価されている左翼フィルムは、結局のところ、堂々巡りに陥ってしまっています。ブレヒトに立ち返ることを忘れてしまっているからです。『まったくもって真実だ。私たちはみんな同じだ。とてもよく理解のできる状況だ』などと人々が言わないように、ものごとを見せる必要があるのです。奇異なものとして状況を示さなければならないということです。これがブレヒトの考えです。まったく自明ではないものとして、ものごとを見せ、聞かせなければならないのです。自明なものなど何ひとつないということを感じさせなければならないのです。
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「自明なものなど何ひとつない」というのは、例えば『放蕩息子の帰還/辱められた人々』であれば、農民たちや労働者たちによってせっかく構築されつつあった自律的な共同体のなかへの資本のロジックの回帰が「自明なもの」などではまったくないということです。
しかし同様にまた、『労働者たち、農民たち』において語られる自律的な共同体の構築プロセスそのものも、「自明なもの」などではまったくないということでもあります。つまり、資本による破壊略奪行為であっても、それに対する人々による「抵抗」であっても、いずれについても、映画はそれらを「自明なもの」として示してはならないということなのです。ひとつひとつの出来事が因果関係や特定の文脈といったもののなかで「自明なもの」として処理され、納得されてしまうことに抗するためにこそ、ストローブ=ユイレは、地理的=歴史的に特定し得ないような時間=空間を構築し、それによって出来事を描き出そうとするのです。
ストローブ=ユイレは彼らの作品における時間=空間のこの「奇異さ」「strangeness」を「サイエンス・フィクション効果」と呼んでもいます。『シチリア!』が公開された際の或るインタヴューのなかで、ストローブ=ユイレは、彼らの初期作品のひとつ『妥協せざる人々』(1964/65)における高校生シュレラと級友のローベルトとの会話シーンを例にとりながら、彼らの言う「サイエンス・フィクション効果」なるものについて次のように説明しています。
| シュレラが仲間たちから暴力を受けたということを知った後、ローベルトはシュレラと橋の上で再会し、暴力の理由は何なのかと自問しながら、シュレラに「お前は何者なんだ?お前はユダヤ人なのか?」と尋ねます。しかし、このときフィルムに「1934年、反ユダヤ主義の始まり」と書かれたプラカードが挿入されるわけではありません。これが私の言うサイエンス・フィクション効果です。
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もしもこの会話が「1934年、ケルン」で交わされたものだとして示されていたとしたら、シュレラに対するローベルトのこの質問は、地理的=歴史的な文脈に鑑みて「自明のもの」だと納得されておしまいだったでしょう。ストローブ=ユイレの「SF効果」は、出来事に対するこのような傍観者的な納得を私たちに禁じ、反対に、そこに生起する時間=空間そのものの「奇異さ」を問うように私たちを導くのです。つまり私たちは「ユダヤ人であるということがひとつの説明になり得るようなこの奇異な世界はいったいなんなのか?」という問いに無媒介的に身をさらすように導かれるということです。
このようなSF効果は、以上のようないわば「耐え難い状況」だけに関わるものではありません。政治的希望に満ちた状況、つまり「抵抗」の状況にも、同様に関わります。このことを、ストローブ=ユイレは、『シチリア!』においてグラン・ロンバルド(Gran
Lombardo)という登場人物が彼の「共産主義的ユートピア思想」を語る列車でのシーンを例にとって説明しています。「[探し求めているものに到るためならば、]自分が持てるもの、つまり私の土地、私の馬のすべてを手放そう(darei
tutto quello che possiedo,
e il cavallo anche,
le terre)」といった内容の、グラン・ロンバルドの語りについて、ストローブ=ユイレは次のように言います。
| もしもこの語りが1917年よりも後のものであるということ、その背景にはスペイン戦争があり、マッカーシー主義やその他もろもろのものごとに先回りするものだということがはっきりしてしまったら、同じように心を打つことはなかったでしょう。
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『シチリア!』の原作、ヴィットリーニの小説『シチリアでの会話(Conversazione
in Sicilia)』は1937年から1938年にかけて書かれたものです。つまり『シチリアでの会話』は、ロシア革命がすでに起こった後の、しかしまだマッカーシー主義などの反共政策が導入されていないヨーロッパ、そしてとりわけ、スペインが「人民戦線=コミュニズム」と「フランコ=資本主義」との激しい戦闘の舞台となっていた最中のヨーロッパにおいて−あるいはそうしたヨーロッパのただなかにあったイタリアにおいて−、時代状況をしっかりと見据えながら書かれた小説なのです。しかし、ストローブ=ユイレは、ヴィットリーニのこの小説を映画化するにあたって、そこで描かれている出来事を、そうした地理的=歴史的な文脈からまるごと引き抜いてしまうのです。つまり、特定の地理的=歴史的な文脈のなかに収まらないものとして、ひとつの出来事を改めて生起させるということです。
ストローブ=ユイレは、『シチリア!』でのこの列車のシーンに「SF効果」を与えるために、列車そのものについてですら「最新の快適車両でも、その時代のものでもないような客車」を苦労してわざわざ探したと述べています。
『労働者たち、農民たち』『放蕩息子の帰還/辱められた人々』についても同じことです。先にも述べた通り、これら2つの作品は、ヴィットリーニが1947年から1949年にかけてその時代の南イタリアの状況を証言するかのようにして書いた小説『メッシーナの女たち』を原作としています。しかし、ここでもまたストローブ=ユイレは、ヴィットリーニの小説に描かれた出来事を、その地理的=歴史的な文脈からまるごと引き抜くかたちで、ひとつの「奇異な」時間=空間として改めて生起させようとしているわけです。
いまみなさんがご覧になった『あの彼らとの出会い』は、チェーザレ・パヴェーゼ(Cesare
Pavese)の神話詩『レウコとの対話(Dialoghi
con Leuco)』を原作としたものです。『レウコとの対話』には27篇の「対話詩」が収められているのですが、『あの彼らとの出会い』では、そのうちの最後の5篇が映画化されています(「人間(Gli
uomini)」「神秘(Il mistero)」「大洪水(Il
diluvio)」「ムーサたち(Le Muse)」そして「神々(Gli
dei)」)。
『雲から抵抗へ』の前半部では、『あの彼らとの出会い』では取り上げられていない残りの「対話詩」のうちの6篇が映画化されています。また『雲から抵抗へ』の後半部は、同じパヴェーゼの小説『月とかがり火(La
Luna e il falo)』を原作としています。『月とかがり火』で語られるのは、第二次大戦直後にアメリカ合衆国からイタリアに戻った「私生児(il
Bastardo)」が、旧友のヌート(Nuto)と再会し、この旧友から戦争中にイタリアで起こった出来事、とりわけパルチザン活動をめぐる出来事を聞かされるという物語です。つまり『雲から抵抗へ』では「神話」と「同時代的物語」とが結び合わされているということです。
興味深いことは、『レウコとの対話』もまた、第二次大戦直後に、より正確には1945年から1947年までの2年間に、書かれたものであるということです(パヴェーゼはこの「神話詩」の執筆期と重なり合う時期に、同時に、ファシズム体制下のトリノを舞台とした「同時代的な」小説『青春の絆(Il
Compagno)』を執筆しています)。つまり『レウコとの対話』もまた、ヨーロッパが「大きな政治的希望」に満たされていたとストローブ=ユイレがみなす時期に書かれたものなのです。そしてパヴェーゼは、1950年(8月26日)、つまりストローブ=ユイレが「今日まで続く破局」と呼ぶものの不可逆的な進行が、マーシャル・プランに支えられた西ヨーロッパ諸国の「奇跡的な経済復興」のもとで、すでに決定的なものとなりつつあったそのときに、睡眠薬自殺をはかり、この世を去ることになります。パヴェーゼが自殺したトリノのホテルの部屋のナイトテーブルの上に、この『レウコとの対話』が遺書のようにおかれていたことは有名な話です。
パヴェーゼは自殺する日の前日に或る友人(Davide
Lajolo)に宛てて自分の死を予告する手紙を書き送っているのですが、その手紙には次のような一節がありました。
| いまのぼくがどういう状態なのかを知りたければ、『レウコとの対話』のなかの「野獣(La
Belva)」のところを読み返してみてくれ。いつものことではあるが、ぼくには5年前からすべてがわかっていたんだ(Se
vuoi
sapere
come
sono
adesso,
rileggiti
La
belva
nei
Dialoghi
con
Leuco:
come
sempre
avevo
previsto
tutto
cinque
anni
fa.)。
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『レウコとの対話』における「野獣」と題された対話詩(「野獣」は『あの彼らとの出会い』にも『雲から抵抗へ』にも収められていません。『雲から抵抗へ』には、いわば「野獣」の代わりとして「雲」が収められています)は、イタリア文学者の河島英昭の解釈に従えば、「神々の企みによって死すべき運命を課された人間エンデュミオーンが[……]、神々と人間と他の存在とが互いに自由に混ざり合っていた良き時代のことを忘れられずに、あえて女神アルテミスと同等の立場に立とうとした姿を描いたもの」だということになります。ここで「神々」「人間」と区別され「他の存在」と河島英昭が呼んでいるのは、「風」「小鳥」「沼地」「羽虫」「流れる水」といった「野生の存在」のことです。
要するに、エンデュミオーン(Endimione)とは、「神々」との、そしてとりわけ「野生の存在」との自由な混交を、神々によって禁じられてしまった「人間」のことであり、また、そうした自由な混交を再び取り戻したいと願い、そのために神々と同等の立場に立つことを模索する者のことなのです。
しかしまたエンデュミオーンは、神々との同等な関係を再び築くことがもはや無理ならば、神々から押し付けられた「人間」としての宿命を断ち切るために「血を流す」ことも、つまり死ぬことも厭わないと決意してもいます。そして、パヴェーゼ本人は、ストローブ=ユイレの言う「今日にまで続く破局」のプロセスが本格的なものとなった1950年に、つまりNATOが組織されたのと同じ年に、自ら命を絶ったのです。
『レウコとの対話』を書くことによってパヴェーゼが闘おうとしていた相手は、再び河島英昭の言葉を借りれば「知識としての神話」です。「ギリシア神話」などというかたちで人々に知れ渡った「知識」こそが、「神々」「野生の存在」そして「人間」の3者が混交する一元論的な世界をぶち壊したのだと、パヴェーゼは考えていたのです。
神話の知識化すなわち「知識としての神話」は、まず「神々」と「人間」とを分離し、両者のあいだに越え難い「隔たり」を導入しました。そしてさらに「知識としての神話」は、「神々」と「人間」とのあいだにこうして絶対的な「隔たり」を導入することによって同時にまた、「人間」と「野生の存在」とが混交し合うための基盤、すなわち「人間」が「野獣」となるための基盤、あるいは「人間」が実際に「神話」を生きるための基盤、要するに真の意味での「神話」をも、破壊してしまったのです。
「知識としての神話」あるいは「神話についての知識」に対するこのような「抵抗」としての『レウコとの対話』を、パヴェーゼが第二次大戦終結直後に書き出したということは、先にも述べたように、非常に興味深いことです。というのも、このことは、パヴェーゼもまた、ヴィトリーニと同様に、終戦直後のヨーロッパに「抵抗」の可能性を、つまり「希望」を見出していたのではないかということを、多かれ少なかれ私たちに告げているからです。しかしそのパヴェーゼも、ヴィトリーニの小説のなかで「抵抗」あるいは「希望」が資本のロジックによって喰い潰されていったのとほぼ同じ時期に、「抵抗の書」としてのこの『レウコとの対話』をその枕元に遺して自殺してしまったのです。その余白には次のように書き記されていたと言われています。
「すべての者を許します。そして、すべての者に許しを求めます。いいですか?あまり騒ぎ立てないようにしてください(Perdono
a tutti e a tutti chiedo
perdono. Va bene? Non
fate troppi pettegolezzi.)。」
ヴィットリーニにおける資本のロジックに対する「抵抗」、そしてパヴェーゼにおける「知識としての神話」に対する「抵抗」。ストローブ=ユイレは、これら2つの「抵抗」をひとつの同じ「抵抗」として闘おうとしてきたシネアストだと言えるかもしれません。
先にも述べたように、神話の知識化がもたらした帰結は2つあります。ひとつは、「神々」と「人間」とのあいだに「隔たり」が導入されてしまったということ。そしてもうひとつは、「人間」から「野獣」としての力が奪われたということです。
「神々」と「人間」とのあいだに「隔たり」について、フランスの批評家セルジュ・ダネー(Serge
Daney)は、『あの彼らとの出会い』に先立って『レウコとの対話』を原作としていた『雲から抵抗へ』(1978)の前半部の第6幕(パヴェーゼの原作では「火」と題された対話詩)の次のような箇所を引いて、これを論じています。
息子「それでは神々は?彼らは不正だ。」
父「もしそうでなければ、彼らは神にはなれぬ。働かぬ者に、お前はどう時を過ごして欲しいというのだ?雇用主がまだ存在せず、人々が公正に暮らしていた時代には、時おり誰かを殺して、彼らを楽しませなければならなかった。神々とはそういうものだ。ところが、わしらの時代になると、彼らはもうそれを必要とはしておらぬ。わしらの多くが苦しんでいるので、そういうわしらのことを眺めるだけで彼らは満足なのだ。」
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この対話についてダネーは次のようにコメントしています。
| 抵抗が始まるのは、人間と神々との分離が達成され、人間が自分自身をひとつの見せ物(spectacle)として思い描き、神々がこの見せ物に遠くから(de
loin)享楽を求めるときのことである。[……]もちろん、神々とは、雇用主のこと、見物人=観客(spectateurs)のこと、つまり労働しないすべての者たちのことでもある。そして、彼らに対して抵抗することとは、何よりもまず、眺められること(etre
regarde)を拒否することだ。例えば、彼らに背を向けるということである。
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ダネーの議論に従って第一に指摘できるのは、次のようなことです。
神話の知識化、あるいは「神々」を名付けることは、一般にそう考えられているように、「人間」の側にとって「神々」の世界がひたすら遠くから眺めるしかないような純然たる羨望の対象になってしまったということだけを意味するわけではないということ。神話の知識化は、これとはむしろ正反対に、「人間」の世界こそが、「神々」にとっての面白可笑しい「見せ物」、すなわち「スペクタクル」になってしまったということでもあるのです。
そしてこの逆転こそが、神話の知識化に抗する「抵抗」と、資本のロジックに抗する「抵抗」とのダイレクトな結合を可能にするのです。つまり、神話の知識化によって「神々」と「人間」とのあいだに導入された「隔たり」は、雇用主のもとでの労働を強いられ苦しい生活を送っている「人間」を遠く隔たったところから眺めて楽しむという快楽を、「神々」に与えることになったということです。要するに、「神々」と「人間」とのあいだに導入された「隔たり」とは、雇用主のもとでの労働を強いられる者と「労働しない者」とを分け隔てる、いわば「資本の本源的蓄積」そのものだということなのです。
しかし、ダネーの議論は、「神々」と「人間」とのあいだの「隔たり」のなかに「資本の本源的蓄積」を見ることだけでは終わりません。さらに彼は、この同じ「隔たり」を、映画とその見物人=観客すなわち「spectateurs」とのあいだにも見出すのです。その上でダネーは次のように議論を進めています。
| ストローブ的ショットの生産のすべては、この遠い隔たり(lointain)を破壊し、「近くから見ること(regarder
de
pres)」を学ばせるような[……]フレーミングの実践によって行われる。このようにいかなる背後世界(arriere-monde)も拒否すること、いかなるショットの背後(arriere-plan)も拒否することこそが、『雲から抵抗へ』に、あのような無媒介的でパトス的な官能性を与えているのである。そして、その官能性においては、「自分の家にいる」と思えるような何らかの世界の記憶、すなわち、すべての事物との親密さの記憶というものは、あくまでも身体の表面に最も強く結びついた感覚にこそ、つまり聴覚や触覚にこそ、委ねられるべきものなのであって、視覚(regard)に委ねられるべきものではないのである。
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そして、ストローブ=ユイレの言う「サイエンス・フィクション効果」こそが、まさに、映画とぼくたちとのあいだの「隔たり」を破壊し、ぼくたちを「近くから見る」ことへと導くための戦略なのです。ストローブ=ユイレの「SF効果」とは、地理的=歴史的に特定され得る文脈や因果関係の網の目から引き抜かれたかたちで出来事を生起させることによって、その出来事とぼくたちとのあいだの「隔たり」を破壊し、ぼくたちが「見物人=観客」としてその出来事を遠く隔たったところから理解したり、納得したりすることを阻止するものなのです。
これは次のようにも言い換えられるでしょう。すなわち「SF効果」によって、出来事は、地理的=歴史的に特定された文脈や因果関係のなかでのひとつの「解答」であることをやめ、あくまでも「問題」「問い」として生起することになるのです。ブレヒトを引きながらストローブ=ユイレが繰り返す「奇異なもの」「strageness」とは「問題」のことに他なりません。そして反対に「自明なもの」とは「解答」のことに他なりません。出来事がひとつの「問題」として生起することによってこそ、初めて、出来事とぼくたちとのあいだの「隔たり」が破壊され、ぼくたちは出来事のただなかに巻き込まれることになるのです。
「自明なもの」が近く、「奇異なもの」が遠いというのは、したがって間違いなのです。これとは正反対に、「問題」として生起する「奇異なもの」こそが、ぼくたちにとって最も近くに在るものであり、「解答」として生起する「自明なもの」は、つねに遠い隔たりの彼方に在るもののことなのです。
神話の知識化がもたらした帰結は、「神々」と「人間」とのあいだに「隔たり」が導入されてしまったということだけではありません。その「隔たり」によってまた、「人間」から「野獣」としての力が奪われてしまったということでもあります。
先に引いたダネーの議論には、実のところ、「隔たり」の破壊が「人間」に「野獣」の力を取り戻させるということがすでに含まれています。「いかなる背後世界も拒否するということこそが[……]、『雲から抵抗へ』に、あのような無媒介的でパトス的な官能性を与えているのである。そしてその官能性においては[……]、すべての事物との親密さの記憶というものは、あくまでも身体の表面に最も強く結びついた感覚にこそ、つまり聴覚や触覚にこそ、委ねられるべきものなのである」という箇所がそうです。
「野獣」の力とは何か。ここでもう一度、パヴェーゼについての河島英昭の言葉を引いておきたいと思います。
| 比喩としてではなく、一本の草花が一人の少年と同じ高みに達し、両者が主人公としての性格を分かち合ったとき、神話は生まれる。
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河島のこの一文において決定的に重要なのは「比喩としてではなく」という冒頭の但書です。河島からすれば、あるいはパヴェーゼからすれば、「比喩」「メタファー」というものは、真の意味での神話が「知識としての神話」にすり替えられることによって、「野生の存在」と混ざり合う力、つまり「野獣」の力が「人間」から奪われてしまったまさにそのときに、その偽りの代補(supplement)としてでっち上げられたシロモノに過ぎないのです。
逆に言えば、「越えて=運ぶ(meta-pherein)」というその語源的な意味においてもすでに、ひとつの「隔たり」をその前提としている「メタファー」は、その存在自体によって、「野獣」としての力の行使を「人間」に禁じるものなのです。そしてまさにこの意味において、ストローブ=ユイレもまた、ほとんど口を開く度にと言っていいほど頻繁に、メタファーに対する彼らの不信感を表明し続けてきました。例えば、『エンペドクレスの死』(1986)について次のように言っています。
| メタファーは近代的な発明品のひとつです。人間は、近代と進歩とのおかげで、その想像力(immagination)を狭めることにもなりました。私たちがそのなかで暮らしている現行のシステムは、わたしたちみんなをゆっくりと小さなものへと切りつめていきます。人々は無能になってしまいました。ヘルダーリンの『エンペドクレスの死』を通じて1790年代にはまだあれほどの広い感受性(sensibilite)の幅が残されていたということ、そして、そうした感受性のすべてが現代世界にとって、また私たち自身にとってどれほどまで完全に馴染みのないものとなってしまったのかということを考えると、ほんとうに恐ろしくなってきます。これが産業文明(civilisation
industrielle)のもたらした帰結なのです。
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ここで何よりも興味深いのは、ストローブ=ユイレが「メタファー」を「近代的な発明品」だと断定した上で、「メタファー」の支配による「人間」の感受性の無能化を、すなわち「人間」の脱=野獣化を「産業文明のもたらした帰結」だとみなしている点です。要するに、ストローブ=ユイレにとって、「メタファー」もまた、優れて資本のロジックに関わる問題だということです。
実際、ストローブ=ユイレのボキャブラリーにおいて、「メタファー」と「剰余価値(plus-value)」とは厳密に同義語となっています。例えば、また別のインタヴューのなかで、或る質問者が「とりわけ演劇などにおいては、多種多様なアイディアや情報を膨大に蓄積していくことによって、あたかも新たな価値が生産されているように観客に信じ込ませようとする作品が散見される」というような発言をしたときに、ストローブ=ユイレは「そんなものは剰余価値に過ぎない、そんなものは市場経済芸術(l’art
de l’economie de marche)だ」としてこれを一蹴しています。ストローブ=ユイレにとって、映像や音声のメタフォリックな使用とは、映像や音声に不可能な労働を強要してそこから無理矢理「剰余価値」を引き出そうとするいかさまに過ぎないのです。
「メタファー」の支配に抵抗し、「人間」に「野獣」としての力を取り戻させること。ストローブ=ユイレがいわゆる「宇宙開闢論(cosmogonie)」の系譜に連なるようなテクストを好んで取り上げるのは、そうした「抵抗」のため以外の何ものでもありません。エンペドクレス、ソポークレス(『アンティゴネー』)、そしてヘルダーリン。さらにはまたセザンヌ、シェーンベルク、あるいはマラルメ(『すべての革命はのるかそるかである』)。そしてもちろん、パヴェーゼもそうです。
「破局」のプロセスが不可逆的に進行するかに思えるこの現代世界のただなかに、そうした「宇宙開闢論」のテクストに満ち満ちている圧倒的な「感受性」を解き放つこと。そして、そのことによって、「メタファー」のもとでのぼくたちの眠りを切断し、ぼくたちのなかの「野獣」を覚醒させること。ヘルダーリン三部作や、セザンヌ二部作(『セザンヌ』『ルーヴル美術館訪問』)などにおいて問題にされているのは、そうしたことです。
しかし「メタファー」「剰余価値」に対する抵抗は、原作に何らかの宇宙開闢論的なテクストを取り上げることだけでおしまいということでは、まったくありません。そもそも、ストローブ=ユイレ映画には、例えば、ヴィットリーニ三部作(『シチリア!』『労働者たち、農民たち』『放蕩息子の帰還/辱められた人々』)のように、必ずしも宇宙開闢論的だとは言えないテクストを原作としたものの少なくありません。ストローブ=ユイレにおいては、すべてのテクストを宇宙開闢論として撮るということが問題になってもいるのです。そして、そこでこの上なく重要な役割を担っているのが、映画のなかを吹き抜けるそよ風です。ストローブ=ユイレ映画とは、いわば、そよ風が吹き抜けていくSF映画とでも言うべきものなのです。そよ風こそが、あるいは《外》から映画のなかに吹き込んでくるそよ風こそが、「メタファー」すなわち「剰余価値」の生産を阻止するのです。
ストローブ=ユイレ作品において、《外》から吹き込んでくるそよ風は、映像や音声を満たすすべてのディティールに吹きつけ、それらのディティールひとつひとつを振動させます。そよ風は、畑一面を覆い尽くす麦の穂の一本一本を揺らし、大地から生い立つ雑草の一本一本を揺らし、森の木々から伸びる枝の一本一本を揺らし、登場人物たちのまとう衣服の端々を揺らして、映像と音声のなかを吹き抜けていきます。
しかし、ストローブ=ユイレ作品を吹き抜ける《外》からのそよ風は、ひとつひとつのディティールに吹きつけ、それらを個々に振動させるだけではありません。映像や音声を満たしているディティールどうしの「あいだ」を吹き抜けていくものでもあるのです。そよ風は、麦の穂どうしの「あいだ」を、小枝どうしの「あいだ」を、衣服の布どうしの「あいだ」を吹き抜けていきます。さらにまた、《外》からのそよ風は、対立し合う登場人物たちの「あいだ」を、あるいは反対に、同盟し合いひとつのブロックを形成する登場人物たちの「あいだ」を吹き抜けてもいきます。
つまり、ストローブ=ユイレ映画における《外》からのそよ風は、映像と音声を満たす構成要素どうしの「あいだ」を吹き抜けていくものであるのと同時に、ひとつひとつの構成要素に吹きつけるものでもあるということです。
構成要素どうしの「あいだ」を吹き抜けると同時に、個々の構成要素をひとつひとつ振動させるということ。《外》からのそよ風は、まさにこのことによって、構成要素どうしの有機的連関による剰余価値生産プロセスをブロックするのと同時に、個々の構成要素をそれぞれ自己価値創出へと向かわせるのです。要するに、映画を吹き抜けていく《外》からのそよ風は、構成要素どうしの「あいだ」を吹き抜けることによって、それらの構成要素どうしの有機的連関を阻止する一方で、同時にまた、個々の構成要素ひとつひとつを振動させることによって、ひとつひとつの構成要素をそれぞれ独自の自己価値創出すなわち独自の「輝き」へと導くということです。
『エンペドクレスの死』には「お前たちに大地の緑が新たな輝きを見せるとき(Quand
le vert de la terre
brillera a nouveau pour
vous)」という副題が付されていますが、その「とき」とは、まさに、剰余価値生産プロセスがこうして切断され、「大地」を満たすひとつひとつのディティールがそれぞれ自己の「輝き」を取り戻すときのことに他なりません。「野獣」の力とは、そうしたひとつひとつのディティールの特異的な「輝き」のすべてを−まさにダネーの言うように−「身体の表面」において感受する力のことなのです。
そして、ストローブ=ユイレ映画においては、このようなことのすべてが、地理的にも歴史的にもはっきりとは特定され得ないようなSF的な時間=空間において行われるのです。
ストローブ=ユイレ映画は、そよ風の吹き抜けるSF映画である。《外》からのそよ風が吹き抜けていくSF映画である。そしてそのことが直ちに「抵抗」となっている。つまり、1948年頃に始まり今日に至るまで続いている「破局」プロセスのただなかで、これに対する「抵抗」となっている。
今回のストローブ=ユイレ作品の上映プログラムは、ジョン・フォード作品の上映とセットになっています。とても刺激的で、面白い試みだと思います。「プログラムすることは思考することである(Programmer,
c’est penser.)。」かつてシネマテック・フランセーズの館長を務め、いまはポンピドゥ・センターで働いているドミニック・パイーニ(Dominique
Paini)という男がそのようなことを言っていたことを思い出します。
ストローブ=ユイレとフォードとを同時に観ることによって、ぼくがこの上ない驚きをもって改めて発見したことは、フォードもまた、優れて、そよ風の吹き抜けるSF映画の作家であるという事実です。例えば、この後に上映されることになっている『逃亡者』(The
Fugitive, 1947)の冒頭で語られる次のように言葉を聞いて、驚かずにいられる人はおそらくいないでしょう。
| The
following
photoplay
is
timeless.
The
story
is
a
true
story.
It
is
also
a
very
old
story,
that
was
first
told
in
the
Bible.
It
is
timeless
and
typical,
and
still
being
played
in
many
parts
of
the
world.
The
picture
was
entirely
made
in
our
neighboring
Republic,
Mexico,
at
the
kind
invitation
of
the
Mexican
Government
and
of
the
Mexican
Motion
Picture
Industry.
Its
local
is
fictional.
It
is
in
a
small
state,
thousands
miles
of
north
or
south
of
the
equator.
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これは、まさに、ストローブ=ユイレが「サイエンス・フィクション効果」と呼んでいるもの以外の何ものでもありません。『逃亡者』では、メキシコ革命直後のメキシコでの出来事が、そうした地理的=歴史的な文脈から引き抜かれて、改めて生起することになります。そしてこのことによって、その出来事は、いっさいの「自明性」を欠いた純然たる「問題」となり、ぼくたちを己のうちに巻き込むのです。
同様のことは、今回のプログラムにあるもので言えば、例えば『肉弾鬼中隊』(The
Lost Patrol, 1934)にも見られます。『肉弾鬼中隊』では、第一次世界大戦中のイラクでの出来事が、地理的=歴史的に特定し得ない時間=空間の構築を通じて、改めて生起することになるのです。
そしてフォードによるそうしたSF映画のなかでもまた、《外》からのそよ風が絶えず吹き抜け続けているのです。

ストローブ=ユイレは『エンペドクレスの死』について次のようなことを言っています。
| [この作品の]すべての映像は、いわばシュトロハイムとフリッツ・ラングとのあいだとでも言うべきところに位置づけられるものです。そしてこれが、まったく再構成されていない風景のなかに、すなわち、ただひたすら愚直に撮影された風景のなかにおかれているのです。
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ストローブ=ユイレが自作をドイツ表現主義に関連づけていることに驚く人もいるかもしれませんが、ドイツ表現主義がそもそも映画史の系譜においてSF映画の先駆(例えばラングの『メトロポリス』のことを考えてみて下さい)であることに鑑みれば、実はそれほど驚くに値することではないかもしれません。私たちにとって興味深いのは、むしろ、ここでストローブ=ユイレが、『エンペドクレスの死』という作品のなかに、SF映画の先駆ともみなし得るドイツ表現主義と、《外》からのそよ風が自由に吹き抜けていくような「愚直に撮影された風景」との出会いを見ているということです。
ストローブ=ユイレ映画の突出した面白さは、それがSF映画だからと言うだけでも、そこにそよ風が吹いているからと言うだけでも説明できません。とにかく《外》からのそよ風が吹いればそれでよいと言うのであれば、どこかのお父さんが撮った子供の運動会の映像で十分でしょう。ストローブ=ユイレ映画の突出した面白さは、あくまでも、SF映画という本来《外》からの風など吹いてはならないような映画のなかを、まるで当たり前のことのように堂々と《外》からの風が吹き抜けてしまっているということにこそあるのです。
備考 SFについて
実際、ストローブ=ユイレ作品はほとんどSFです。登場人物たちはみんな、どこかよその惑星からやってきた宇宙人のようです。例えば、今回のプログラムにある『アンナ・マグダレーナ・バッハの日記』の登場人物たち。当たり前のことのように奇異なかつらをみんなでかぶっている登場人物たちは、宇宙人にしか見えません。
ストローブ=ユイレ映画の登場人物たちはまた、この世のものとは思えないような発声の仕方でセリフを発し、この世のものとは思えないような姿勢や身の動きで画面に登場してきます。これはストローブ=ユイレのブレッソン主義とも言えるものです。ブレッソン映画の「モデル」たちと同様、ストローブ=ユイレ映画の俳優たちは、撮影に先立って何ヶ月も前から何度もリハーサルを繰り返し、また、俳優自身が書いたわけではまったくない「他者の」テクストを読まされること(とりわけ『放蕩息子の帰還』)によって、「自分が何をやっているのかよくわからない」というような一種の夢遊状態あるいは無意識状態におかれ、このことによって宇宙人となるのです。
複数の登場人物がひとつの同じ画面に収まっているときにも、画面内での彼らの配置は、端的に言ってかなり「奇異な」ものです。ストローブ=ユイレ映画において、共闘し合う仲間とは、みんなで輪になって互いに見つめ合いながら円陣を組んでいるような人々のことではありません。『辱められた人々』にその最たる例が見られるように、1本のまっすぐなライン上に横並びになり、ひとつの同じ方向を向いている人々のことなのです。映画においてこうしたことが起きるのは、ストローブ=ユイレ映画を別にすれば、兵士たちが前線を張って敵陣に対峙する様子を示す古典的な戦闘シーンか、さもなければ、小津安二郎の映画ぐらいのものでしょう(前線を張ることがもはや有効な戦略とはならない現代的な戦争を描いた戦争映画では、そのようなシーンはもはや見られません)。
画面にひとりも人物が登場してこないような場合でも、ストローブ=ユイレ作品がSF的であることにかわりはありません。例えば『早すぎる、遅すぎる』の前半部分。フランス革命前夜にエンゲルスがカウツキーに書き送ったとされる手紙を読み上げるダニエル・ユイレのオフの声と伴走するかたちで画面上に示されるフランスの田園風景について、ストローブ=ユイレ自身、「見捨てられた惑星(planete
abandonnee)とでもいうような、SF的な側面がある」と指摘しています。
ストローブ=ユイレ映画で示される風景は、『早すぎる、遅すぎる』の場合だけに限らず、どの作品のどのショットでも必ず「見捨てられた惑星」のような印象を与えるものとなっています。例えば『セザンヌ』におけるサント=ヴィクトワール山の光景を捉えたショット。ユイレのオフの声によって読み上げられるサント=ヴィクトワール山についてのセザンヌの言葉、とりわけ「これらの塊はかつて火だったのです。そのうちにはまだ火が残っています(Ces
blocs
etaient
du
feu.
Il
y
a
du
feu
encore
en
eux.)」という、「現在」のなかに「過去」の痕跡を読み取ろうする地質学的な言葉は、まさに「見捨てられた惑星」を語る言葉そのものです。
ストローブ=ユイレ映画において、登場人物たちは、あたかもそうした「見捨てられた惑星」の上に宇宙人が降り立つかのような仕方で、画面に登場してくるのです。例えば『アメリカ(階級関係)』では、アメリカ合衆国がひとつの「見捨てられた惑星」のようにして在り、そこに様々な星から宇宙人たちがやってきて、ドイツ語という宇宙共通語を話している。さらにはまた、今回のプログラムにある『ルーヴル美術館訪問』についてですら、ルーヴル美術館がひとつの「見捨てられた惑星」として在り、彫刻や絵画は様々な星からやってきた宇宙人のようにしてそこに降り立ったかのような強い印象を受けます。
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